今日は、高橋和巳先生の著書
「消えたい」のご紹介です。






精神科医の香山リカさんが
仰っていましたが、

被虐うつの方は
うつ症状の治療が効きにくいそう。


そもそも、
若者の軽症「うつ」には薬は効きにくいし、
悲哀性のうつには薬はほとんど効かない。

 


だからまずお互いに、
自分の状況を整理することから
始めないといけないのです。


“「時間の感覚が人と違うから、
 『三日前』がなくて、代わりに
 『60時間くらい前』と言わないと、
 分からないのでしょうね」と私が説明を終える。

 

 すると、うつむき加減だった金沢さんが、
 驚いたように視線をあげた。


 「そうなんです!
 私、日にちの感覚よりも時間の感覚なんです。
 でも、先生はなんでそれが分かるんですか?」”

 

“いつ食べられるか分からなくて、
 出されたものはすべて美味しかった。
 好き・嫌い、美味しい・まずい、
 何か食べたい、という概念がない。”

 

“カウンセラーさんから、
 『親に怒りをきちんと向けなさい』と言われた時、
 それは私には『母を愛しなさい』と聞こえて辛かった。


 ここに来て先生に、
 『それは虐待だったですね』と言われて、それが、
 『もう母親を愛そうとしないでいいんですよ』と聞こえた。
 楽になった。”

 


こんな、感じだから。

たいていは薬を絞って、生活を立て直すことを
始めることになります。

 

まずは、自分の辛さが
小さいときの環境からきているのであって、
いまは違うと少しでも思えることです。

 

それで、睡眠、食事、少し力を抜いて安心できること、
を実感していきます。

 


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普通の生活ができて、
一に、美味しく食べて、
二に、ぐっすり眠れて、
三に、誰かと気持ちが通じあうことができれば、
人は幸せである、と

私は彼らから教えてもらった。

 

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と、高橋先生は言っています。

 

僕は、それが出来ない人が
いることが衝撃だったのではなくて、

今まで一度も安心したことがなくて、


そういう“概念自体がない人がいる”
ことが衝撃でした。

 


親と新興宗教をやっていると、
社会からは断絶されますけれど、
宗教内のコミュニティは逆に結束
したりしますので、

そういう意味では恵まれた
子供時代だったのかもしれません。

 

(苦労してないお坊ちゃんっぽいと
言われることも 苦笑)

 

 

さて、そんな彼らがふと
日常を取り戻すとき。

 

その言葉がとても、美しく
ご紹介したかったのです。

 

 

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以前は、
妻が娘を叱っているのを聞くと怖かった。
聞きたくなかった。

 

でも、その朝はそうではなかった。

 

ああ、怒っているな、
ああ、反抗しているな、
と安心して、微笑ましく感じて、
二人の言い合いを聞いていた。

 

それから、夕方。
朝のけんかが嘘だったように、
妻と娘が楽しそうに会話している。

 

『ママね、今日ね、幼稚園でね…』
と娘が報告している。
何かを自慢しているようだ。

 

妻が、
『ええっ、そうなんだ。すごいね』と
ほめている。


ああ、これって称賛だ。
うらやましいな、かわいいなと思った。

 

…私の頭の中に言葉が浮かんだ。

 

『幼稚園で何かいいことあったのか、
パパにも教えてくれよ』

 

思わず浮かんだその言葉に
自分でびっくりした。

 

でも、それを口には出さなかった。


そして、いつかはそれを口に出してみようと思った。

それは楽しそうだと思った。

 

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日曜日、
一人で外を散歩していたら、
近所だったけど
知らない路地に迷い込んだ。

 

坂を上っていくと視界が開け、
小さな公園があった。

 

あれ、こんなところに
公園があったのか、と思って、
ベンチに座った。

 

小さな緑があって
青空が広がっていた。

 

ぼーっと過ごしていたら、
ふーっと軽く意識が遠ざかるような、
時間が止まったような、
静かな気持ちになっていた。

 

自分がいて、
小さな緑と青空と、
下には住宅の屋根が連なっていた。

 

同じ世界だけど、
いつもとは違う方向から
見ている気がした。

 

何も変わっていない。

 

自分はもとのまま、
周りも昨日と同じはずだった。

 

でも、慣れ親しんだところが、
それまで目で見て、耳で聴き、
肌で感じてきた世界と違っていた。

 

自分の感じ方が変わったに違いないと思った。

 

今は自分と世界とが分かれている気がする。
つながっていない。


『それぞれなんだ』と思った。

 

だからだろうか、
『きれいだな』と思った。


自分の中の緊張が解けていた。

 

きれいだな、と
感じたままにしていいんだ、と思った。

 

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ラルフ・エマソンの詩に

「もし星空が
千年に一度しか現れないのなら、
 
人びとは神の都である星空の記憶を
信じがたいものとして崇め、
幾世代にもわたってそれを語り継ぐだろう」

というものがあります。


毎日見上げる星空と
千年に一度の星空。

その二つは同じものなのか、
違うものなのか。


今目の前にあるものも、
当たり前じゃないと
本当は分かっているんだと思うのです。

 

ただ、少し忘れていただけで。


「消えたい」
ぜひ読んでみて下さい^^