知らないのは損かも!?
近藤京子さんの「自分で自分のメンテナンス」
byアスク・ヒューマンケア
http://www.a-h-c.jp/semi_maintenance.html
人を探っていって講義に行くのは
初めてかも知れない。
そっちが理想な気はしてるけど、
テーマに関心を持ってイベントに行くことの方が
多かった。
講師の近藤京子さんと
お会いしたことは無いのだけれど、
「プロジェクト・オンブレ研究報告」
という資料から彼女の存在を知った。
プロジェクト・オンブレとは
スペインの薬物依存の治療共同体で、
スペイン国内で27の支部を持って
かなり大規模な活動をしている。
プロジェクト・オンブレ=人間計画
という意味があり、
つまりただ回復するだけではなくて、
というか生き方に取り組まなければ
依存症自体からも回復できないという
ことでもある。
助成金で1年間かけてそのプログラムを
視察してきた近藤さんの
100ページ以上に渡る報告書は、
むさぼり読むほど面白かった。
あんなに烈しく直面化するなんて、
カウンセリングの常道とは全然違う。
そしてそれがその相手に受け入れられる
のは、その相手も分かっているからだ。
依存している人は、つまりそれから、
生きるということから逃げてきた。
それをさせない、出来ないシステムが
教育なのである。
そしてもう一つ、依存症者のまわりには
「イネイブラー」という依存を可能とさせる
親しい人がいると言われている。
その人も、そのままじゃ駄目だと分かっている
のだけれど、依存を可能にさせてしまう。
つまりそれは、コミュニケーションの問題であり、
自分のメッセージや思うことをどのように
捉えるかという心の問題でもある。
そしてそれは、勿論
依存症者側にも裏返しでコミュニケーションの
問題があることを示唆する。
さてさて。
で、それを学んで来られた近藤さんが
今何を語るのか。
知りたくて見つけたのがこの講座だったのだ。
最後にその精神の源流となる言葉を一つ。
アメリカで更に古い薬物依存症者支援活動に
「デイトップ」というものがある。
その創設者ウィリアム・B・オブライアンが
著書で紹介していた、マニフェストがある。
それを書いたのは、元依存症者で
デイトップで回復し、コネチカット大学教授
となったリチャード・ボーヴェイ。
『デイトップ哲学』というそのマニフェストは、
今では世界23カ国以上で翻訳され、
デイトップ施設ではどこでも壁に掲げられている。
“もう逃げる場所もなくなって
ついに私は自分からここにいる。
人の目とこころに映る自分に向き合うまで
私は逃げている。
自分の秘密を人が知ることをゆるさないがぎり
私は安心できない。
人に知られることを恐れて、
自分も人も知ることができなければ
ひとり孤立してしまう。
人と共通な地盤に立たずして
自分の姿を映し出してくれる鍵は
見つかるだろうか。
ここで人とともにいて
私はやっと自分がはっきりと見える。
夢の中の巨人でもなく
恐れの中の小人でもなく、
全体の一部であるひとりの人間として
共通の目的のために役割をもって
この地盤に私は根を張り成長する。
もはや孤独のうちに死に向かうのでなく
自分と人のために生きる。”
日本人は多分、
厳しく直面化するのが苦手だ。
特に相手の立場を斟酌すると、
優しければ優しいほど更に何も言えなくなる。
相手の事情も思いながら、
それでもなお厳しく直言するなんて
キリスト教圏だから出来るんじゃないか
なんて、ちょっと思ったりもした。
だけど、このマニフェストを見れば分かる。
確かに「デイトップ」は牧師さんがつくった。
でもこれは、宗教が無くとも
人から生まれ得る考え方だ。
宗教をくぐり抜けた僕だから分かる。
そして思う。
なんて崇高なのだろう、と。
“夢の中の巨人でもなく
恐れの中の小人でもなく”
近藤京子さんの「自分で自分のメンテナンス」
byアスク・ヒューマンケア
http://www.a-h-c.jp/semi_maintenance.html
人を探っていって講義に行くのは
初めてかも知れない。
そっちが理想な気はしてるけど、
テーマに関心を持ってイベントに行くことの方が
多かった。
講師の近藤京子さんと
お会いしたことは無いのだけれど、
「プロジェクト・オンブレ研究報告」
という資料から彼女の存在を知った。
プロジェクト・オンブレとは
スペインの薬物依存の治療共同体で、
スペイン国内で27の支部を持って
かなり大規模な活動をしている。
プロジェクト・オンブレ=人間計画
という意味があり、
つまりただ回復するだけではなくて、
というか生き方に取り組まなければ
依存症自体からも回復できないという
ことでもある。
助成金で1年間かけてそのプログラムを
視察してきた近藤さんの
100ページ以上に渡る報告書は、
むさぼり読むほど面白かった。
あんなに烈しく直面化するなんて、
カウンセリングの常道とは全然違う。
そしてそれがその相手に受け入れられる
のは、その相手も分かっているからだ。
依存している人は、つまりそれから、
生きるということから逃げてきた。
それをさせない、出来ないシステムが
教育なのである。
そしてもう一つ、依存症者のまわりには
「イネイブラー」という依存を可能とさせる
親しい人がいると言われている。
その人も、そのままじゃ駄目だと分かっている
のだけれど、依存を可能にさせてしまう。
つまりそれは、コミュニケーションの問題であり、
自分のメッセージや思うことをどのように
捉えるかという心の問題でもある。
そしてそれは、勿論
依存症者側にも裏返しでコミュニケーションの
問題があることを示唆する。
さてさて。
で、それを学んで来られた近藤さんが
今何を語るのか。
知りたくて見つけたのがこの講座だったのだ。
最後にその精神の源流となる言葉を一つ。
アメリカで更に古い薬物依存症者支援活動に
「デイトップ」というものがある。
その創設者ウィリアム・B・オブライアンが
著書で紹介していた、マニフェストがある。
それを書いたのは、元依存症者で
デイトップで回復し、コネチカット大学教授
となったリチャード・ボーヴェイ。
『デイトップ哲学』というそのマニフェストは、
今では世界23カ国以上で翻訳され、
デイトップ施設ではどこでも壁に掲げられている。
“もう逃げる場所もなくなって
ついに私は自分からここにいる。
人の目とこころに映る自分に向き合うまで
私は逃げている。
自分の秘密を人が知ることをゆるさないがぎり
私は安心できない。
人に知られることを恐れて、
自分も人も知ることができなければ
ひとり孤立してしまう。
人と共通な地盤に立たずして
自分の姿を映し出してくれる鍵は
見つかるだろうか。
ここで人とともにいて
私はやっと自分がはっきりと見える。
夢の中の巨人でもなく
恐れの中の小人でもなく、
全体の一部であるひとりの人間として
共通の目的のために役割をもって
この地盤に私は根を張り成長する。
もはや孤独のうちに死に向かうのでなく
自分と人のために生きる。”
日本人は多分、
厳しく直面化するのが苦手だ。
特に相手の立場を斟酌すると、
優しければ優しいほど更に何も言えなくなる。
相手の事情も思いながら、
それでもなお厳しく直言するなんて
キリスト教圏だから出来るんじゃないか
なんて、ちょっと思ったりもした。
だけど、このマニフェストを見れば分かる。
確かに「デイトップ」は牧師さんがつくった。
でもこれは、宗教が無くとも
人から生まれ得る考え方だ。
宗教をくぐり抜けた僕だから分かる。
そして思う。
なんて崇高なのだろう、と。
“夢の中の巨人でもなく
恐れの中の小人でもなく”