アメリカの大統領候補が狙撃されたとニュースに流れました。


日本でも、元総理が狙われて命を失ったり、現職総理が狙われたりしました。


民主主義への冒涜だというコメントがその都度語られたりしますが、実行犯は、組織的な裏付けもない個人の犯行とされ、民主主義を否定したものとは一概に言えるものでは無さそうです。


アメリカの場合は、現場で犯人を撃って、本人の口から犯行動機を聞くことができませんし、日本での事件は未だに裁判を始められない状況のようです。


専制主義と言われる個人又は党による独裁とは違い、民主主義は多様な意見から多数の意見をもって、政策の方針を決めるという公正公平な手法のように見えますが、穿った見方をすれば、多数派に属する人たちの専制主義のようにも見えます。


声を拾ってもらえない人たちが追い詰められると、結局、粗暴な行動をとってしまうのが人間としたら、多数派の人たちがどれだけ少数派の声に耳を傾けられるのかということが大事なように思えます。


自分は、組織の中で概ね少数派として過ごしてきましたから、組織の方針に否定的な言動を繰り返し、定年まで全うできなくなりました。


それでも、組織存亡の中では、結果的に多数派に属していた時期もありましたから、それぞれの立場で考えると、多数派は組織の進むべき方向を定め、少数派は、自らがそこに存在できるエリアを確保する提案を発し、多数派に受け止めてもらうことで、丸く治める組織作りの一助となるべきかと感じました。


政治の世界では、与党と野党がお互いに非難しあうのが日常となっているようですが、それでは互いに足を引っ張っているだけで、何も良いものが生まれない気がします。


多数派は少数派の望むことを受け止めて、少数派は多数派の意向を真摯に理解することが、多数決だけに終わらない民主主義であるような気がします。


日本人の思想は、政党の支持率にも表れるように多岐に渡っていて、絶対的多数派はないようなので、もっと建設的な意見の集約を行ってもらいたいと願います。


与党である多数派の方針を皆が尊重し、その中で少数派の人たちが暮らしやすい社会を野党が率先して導いてもらえる社会が嬉しいなと思います。


多数派と少数派が非難しあう世の中であれば、それこそもっと少数派である立場の人たちは、自らを傷つけるか、他人を傷つけるしか選択肢がなくなりそうです。


まぁ、少数派の人たちも、自分たちより少数派の人たちを見下す世の中ですから、こんな話も所詮戯言なんでしょうね!?