1987年(昭和62年)6月13日
34年前、17歳の私に起きた出来事。
この日は大好きな母が亡くなった日。
入院して3か月間の苦しく辛い壮絶な闘病生活だった。
私の家族は父、母、姉の4人家族。
ごくごく平凡な穏やかで仲のいい家族だった。
父の仕事は大工で、決して裕福とは言えない家庭
だったので、母も生活を支えるため共働きをしていた。
そんな両親を見て、私の家はあまりお金がないん
だろうなって子供心にいつも思っていた。
でも決して不憫な思いをすることもなく
愛情いっぱいに育ててくれた母が大好きだった。
私は子供の頃はすごく人見知りで引っ込み思案。
よそではずっと母の背中に隠れて離れなかった。
母のことが大好き過ぎて
ずっと、そばにいたくて
家の中でもずっと母に引っついていた。
母は昔から身体が弱く、
私が5歳の時、結核を患っていた。
その頃、添い寝してくれていた母の閉じた目から涙がこぼれていくのを
今でもはっきりと記憶に残っている。
その涙の意味は今でもわからないけど、
身体の弱い自分を悔やみ、
幼い娘たちを残して逝ってしまうのではないかと
思っていたのかもしれない。
母は明るく人想いでみんなから愛されていた。
家族のために尽くしていつも家族の中心にいた。
オシャレで綺麗だったから
友達から「きれいなお母さん」って言われ
自慢の母だった。
何事にも一生懸命で、厳しい一面もあった。
いつも「人に想いやりの気持ちを持ちなさい」
が口癖だった。
そして、いつも私の味方になってくれる
良き理解者だった。
そんな母が大きな病に侵され、
苦しんで苦しんで苦しみ抜いて
あっけなくこの世を去ってしまった。
亡くなった後に、
父に「肺がん」だったことを告げられた。
そうだったんだ・・。
必ず元気な姿になって帰ってくると
信じていたのに。
3か月という短い入院生活。
入院する数か月前からも体調不良に悩まされ
一人で苦しんでいた。
かかりつけの町医者に掛かっていたが
原因がわからず、漢方薬を飲んだり、
あらゆる手段で治そうとしていた。
最終的には神頼みするしかなくて、
一緒にお参りに行ったことを覚えている。
ちょうどこの時、母と父は不仲な状態で、
家庭の中がギスギスしていた。
母が辛く悲しく泣いていた姿を見て、
そんな思いをさせる父のことが嫌いで嫌いで、
この家を出て一緒に住もうって
言ったこともあった。
父はその時、そんな辛そうな母を見て
どう思っていたのかは知らないけど、
私の目には母を労わっているような姿は
映らなかった。
日に日に弱ってくる母は
仕事にも行けなくなり、
私たちのご飯も作れなくなっていた。
もともと身体が弱かったせいもあり、
父も姉も私もそんな姿が当たり前になっていて、
そんな病に襲われているなんて思ってもみなかった。
それどころか、仕事を休んでずっと家にいてくれることがむしろ嬉しかった。
でもそんなある日、
とうとう、布団からも起き上がれなくなり
母の口から「病院に連れて行って」
と告げられ、
慌てて父の仕事場に駆けつけ
病院に連れて行ってもらった。
家族みんなで父の運転する車で
隣町の大きな病院に行き、
即入院が決まった。
ようやく、家族が母の病気に向き合った瞬間。
しかし、既に末期の状態だった。
入院してから日に日に弱っていき、
大部屋にいたのも数日の間で
直ぐにナースステーションに
近い個室に移された。
私は学校と部活があったので
週末ぐらいしか会いに行けなかったが、
早く学校が終わった日は
電車に乗って病院に通った。
ある日の授業中、
父から学校に電話が入り、
これから人工呼吸器の手術をするから
今直ぐに病院に来るようにと言われた。
人工呼吸器を着けてしまうと会話ができなくなるからだった。
急いで病院に駆けつけたが、
到着が遅くなってしまい、
手術室に行く母はか細い声で
手を差し出し「行ってくるね」と
言った一言が最後に聞いた言葉だった。
それからも病状は悪くなり続け、
毎日、家族が交代で付き添うこととなった。
口からは何も摂れず
足には点滴が入れられ、
唯一、ガーゼに包まれた氷のしずくを
口に含ませるだけだった。
枕元にある人工呼吸器の
シューッガシャンっていう音が
今でも耳から離れない。
しゃべることができないから
何か呼ぶ時は呼び鈴でを鳴らしてくれた。
定期的に襲う激しい痛みに苦しみ、
もがき暴れる母のそばにいることが耐えられなくて、そばから逃げ出すことが何度もあった。
段々と私の大好きな母が母で無くなっていく
姿を見るのが辛く苦しく逃げ出してしまった。
でも、穏やかに眠っている時の
母の手の感触が好きで
その感触を忘れないようずっと摩り続けた。
いつか本当に元気になって
帰ってきてくれるのだろうか、
もしかしたら、
帰って来れてもしゃべれない、
動けない姿のままになって
しまうのだろうかと頭をよぎった。
でも死んでしまうなんて考えてもみなかった。
私のお母さんが死ぬわけがないと思っていた。
病気が治って元気になってくれたら
この話を聴いてもらおうとか、
これを見てもらおうとか、
いつか必ず元気に帰って来てくれると信じて、
その日を待ち望んでいたけど、
病気が分かってから、たった3か月、
願いが叶わないままいなくなってしまった。
母の闘病中は父と姉と三人が
一つになって戦っていたが、
母が居なくなってから家族の中に穴が空き、
私の心もポッカリと穴が空いてしまった。
家族の中の張り詰めた糸が切れてしまい、
父との喧嘩が絶えず、以前にも増して
父に対する反抗心が芽生え、
毎日好き勝手なことをするようになり、
平凡で穏やかな家族が崩れていった。
このまま父と一緒に居たら
ますます父のことが嫌いになると思い、
高校を卒業して家を出ることにした。
これまで、母がいないと何もできない引っ込み思案で、どんな時でも相談に乗ってもらって決めていたが、初めて自分一人で決断をした。
これから、自分の力で生きていこうと思った。
高校を卒業し新たな場所で
家族も友達もいない生活が始まり、
今までの人見知りの自分を払拭し、
いつも笑顔で母が言う「人を想いやる気持ち」
を大切にするようにした。
そしたら、自然と信頼できる
友達や知人を作ることができた。
これが、私の人生の中で大きな転機となり、
自分自身が変わった瞬間だった。
これまでモヤモヤしていた世界が
自分が変わることで明るい世界に変わると
実感した。
これが母が私に教えてくれた愛だと思った。
母が亡くなってから今までずっと
母に守られていると感じている。
でも未だに、いなくなった事実が消化しきれ
ないまま残っている。
ずっと今まで、その想いを封印してきて、
33年前のことを振りかえようとしなかったけど、
あの時の記憶や想いが忘れてしまわないよう、
そして、母が存在していたことの証を残したいと思った。
生まれ変わったら
もう一度お母さんの子に生まれて
たくさん話しがしたい。
お母さん、私を生んでくれてありがとう。
そして、17年間愛してくれてありがとう。