年月と経過 | ブログ

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情景 完結を見てから2年半

あれから2年半の年月が流れてると思うと随分長い道のりを感じた、あの日のライブをみてGOMESSさんのライブ、ワンマンを久しぶりに見に行った

あの時の自分はまだiPhoneではなくAndroid、青山月見ル君想フに言った時だ、あの日買ったニューエラの帽子は今も残ってる、物は割かし残ってる、居なくなったのは人たち、自分の裏切りや相手からの無関心から離れたりくっついたり、仕事も夜勤から普通へ、そして出張、怒られ褒められ成長していないって訳でもないしやれる事も増えたけど満足していない現状には何時も不満があるがそれでも辞めずに今もまだ生きてる、むしろ心はいつだってバラバラ、安定していない事が多い、常に退屈や不満、愛情の渇きや飢えに苦しんできた日々たど思う、誰かに依存していた事もあれば誰でもよく、自分の退屈や心のつっかえを無くすために人と出会ってきたりして生きてきた、増えたもので実感出来るのは、ギターとバンドと家、そこに恋人って書きたかったけどその人もついこの前、飽きられては捨てられた、多分この事が無ければ今もこんな文章を暗いような書き方はしていなかっただろう、しかしながらそれでもまだ生きてた、自分の世界を出せずにもがき苦しんでいたあの頃の人生よりかは幾分かマシだが無いものねだりのように次々と不幸を感じる事も増えたし幸福と感じる事もあった、自分を最低な人間と罵ってても楽しい事があったら平然と笑ってられるのに凄い不自然さを感じ、自分が不幸になると周りの罵って殺したい意欲に駆り立てたれる事もあり中身はきっと2年半前よりも黒く歪んでいるのかと思う、それでも生きようと思えるのには少しばかり理由がある、自分の自分を誰かに認めて貰いきれて居ないから、きっと仕事でもバンドでもそうだ、自分にはきっと凄い才能があると信じてやまないこんな私だからここで恋人1人満足させてやれない自分のまま死にたくないしまだまだ何かを表現しきれていないからまだ生きている、自分という人間が世界の歯車、ある文化の1部、他人にとっての存在となりたいから生きてる

あとは愛情に飢えてまだ自分は人と沢山話していたいという事、といっても承認欲求の塊みたいなやつだから認められ過ぎて困った時に死んでも後悔がないと思えるんだろう、

しかし死にたいと思える時もある

これ以上に今、去年、半年前、いろいろ遡ると自分の無能な人間性に死を感じたいと何度も何度もおぼえる、ここ最近精神科に行きたいと強く思うようになっている、きっと自分のモヤついた心と頭の何かを払ってスッキリと生きていたいんだろう、常にこの不安なのか病みなのか分からん生き方をさらけ出して生きれなくここに溜め込み無理やりポジティブに生きようとしても疲労で心のネジは取れたりして不安が自信を消し去る、2年半生きた結果は、今も病みを引き続け自業自得と言わんばかりの結果を残してきた、また次の2年半はまだこんな日記を書き綴っているのだろうか、ただ今よりも自分を自分として生きやすく自分の感じた世界を出していくだろう、もしこれも違うと感じた時は自分が死んだということだろう、ただ明日からはまた生きるだろう、