和歌を詠む仕事 その二 | 源氏物語ブログ

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鴨長明の著作に「無名抄」という
歌論書があります。

若い頃から才能を認められながら、和歌の道でトップグループに入れなかった長明。

彼は楽器の趣味もあり、色々才能を持っていましたが、どれもトップオブトップの評価は得られていません。
ひとつに絞れないのは、力を最大限に発揮出来ないのか、それともあと一歩というところで妙に臆したのか…。


ですが、「無名抄」を読むと、
長明は、やはり和歌に生きたかったのかな、
と感じます。

現代のようにパソコンやスマホがあれば別ですが、和歌の超一流になるには、かなりの知識が必要で、それらをかなり正確に記憶している必要があります。

前もって作って参加する歌合ならともかく、
その場で作って、それを批評されるような会だと、少しの失敗で人生が狂ってしまうような大事件にもなります。

古歌の引用や、故事の引用、昔の歌人の知識。などなど。使う語句を一文字間違えても、バカ扱いです(ー ー;)
歌合での批評会の様子など、読むと背筋が凍りつきます(笑)

それプラス、和歌の技術的な上手さ。
透き通った精神性が感じられる作品かどうか、などが評価の基準になるわけです。

鴨長明は、和歌にかなり自信があったけれど、非常に控えめに己をアピールする事しか出来なかった印象を受けます。

有名なエピソードがあり、これは方丈記の読者会でお話しするので、ここには書きませんが、長明が、ちょっと失敗しかけた事があり、それからは、失敗するのが怖かったのかな…という印象です。大事な仕事だったから、恐れが出たのかも。

彼はコミュニケーションが少し苦手だっのかもしれません。
でも、晩年、幸せにはなれた。
彼の心の豊かさは、幸せそのものです。

誰かの人生を掘り下げて研究しようとしても、他人には、その人が本当はどう感じていたのか、知りようもありません。

既成の概念や価値観を外して、その人の中身を見つめ、理解しようとする努力が必要なのですね。
これは、普段のわたし達の生活にも共通しています。

来週の「方丈記を3時間で読む会」
参加される方は、どうぞお楽しみになさっていて下さいね。