見えない現実からの逃避 | 源氏物語ブログ

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*7/13加筆訂正アリ。⑤を書き変えました。

久しぶりに源氏物語関係の事を書こうと思ったのは、方丈記の資料をまとめていて、平安時代の仏教や、貴族の出家について、ふと思いついたからです。

でも、今回はまとまりのない雑記なので、真剣に読まないで下さいね(笑)


実はわたしの卒論のテーマは「光源氏と出家」でした。
全編にわたり、光源氏が出家したいと思った場面を抜いて、出家せずに踏みとどまった理由を検証していく。
…今考えると、もう少しまともなテーマはなかったのかと、自分の未熟さを思い知りますが(笑)



貴族にとっての出家には、だいたい以下の理由が挙げられます。

①死ぬ前に出家しないと極楽浄土へ行けないと信じていた。

②世の中に嫌気がさしても、死ぬわけにいかないから、とりあえず救われそうな気がして出家してみる。当時は他に逃げ場がない。

③ファッション(笑)。発心(出家を思い立つ)って、もののあはれを理解する風流人が思いつく雅な現実逃避だから。もしくは異性へのあてつけ。だからすぐ還俗する事もある。

④女性の場合、男性から逃げる手段。

⑤明らかな罪障を作ってしまい、地獄に堕ちるのが怖いので、何とか救われたい。当時は地獄は本当に恐ろしいと刷り込まれていた。


…つまり、まとめてみると、
ほぼ自分のため。自己コントロール不能で、不安は仏門に入れば解決するだろうという、超他力本願な思い込みが中心です。


この調子で、色んな事が極楽往生の妨げになると思い悩み、例えば突然妻子を振り切って出家したりする。…振り切られた妻子はたまったものではありません。
西行なんかも、一種のノイローゼな気がします。スミマセン…σ(^_^;)


で、光源氏も、色んな女性が思い残りになり(絆ーほだしーになると表現されます。)
このまま出家しても、自分は極楽浄土へは行けないだろうと、タイミングを逃してゆくのです。
まあ、それで正解ですよね。

出家しても多分女癖までは治らないので、罪障になってしまいますから。
ある意味、彼は自分の事を理解しているのですね。

本来、他人や世の中のために祈るのが、僧侶の仕事ですが、当時の比叡山などは、名僧も輩出しながら、一方でイタリアンマフィアみたいな、恐ろしい権力を持った一大勢力でもありました。

わたしは、紫式部は、当時の仏教のそういう危うい多様さとか、貴族の他力本願さとか、
それらをじっくり観察していて、描き方としての出家が、物語の中では、宗教としてはあまり重要ではなく、人が立ち位置を変えるための道具であった、と、考えていたのではないかと思っています。


でも、死ぬ時は出家が通過儀礼なんですよね。それだけは、せめて死後の極楽往生を願っているという、平安時代の人々が、現世の何か見えない恐怖と対峙するための免罪符とか、極楽浄土への通行証みたいに思っていたのだなと、文化として面白く感じています。

病による死の恐怖など、起こる出来事のショックが大きいと、ひとは安心材料を探すのです。


日本の仏教は、最初、学問として中国から輸入され、その後、様々なニーズにより、多様化してゆき、今に至っています。

ですから平安時代の仏教は、現代のお寺や宗派のあり方とは、かなり違いますね。
わたしは専門家ではないので、これ以上はなんとも言えませんが、
専門家の方のお話も聞いてみたいところです。


読書会で仏教の歴史についてお話して下さるお坊さん、探そうかなぁ…(笑)