-辞世の句-
『流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
かばねをば岩屋の苔に埋みてぞ 雲ゐの空に名をとゞむべき』
岩屋城落城後、般若坂の高台にて紹運以下の首実検が行われた。攻め手の総大将島津忠長は床几を離れ地に正座し、「我々は類まれなる名将を殺してしまったものだ。紹運殿は戦神の化身のようであった。その戦功と武勲は今の日本に類はないだろう。彼の友になれたのであれば最高の友になれただろうに…」と諸将とともに涙を流し手を合わせたと伝わってる。
秀吉は島津を降伏させると帰途大宰府に統虎を呼び、父紹運の忠節義死を「この乱れた下克上乱世で、紹運ほどの忠勇の士が鎮西(九州)にいたとは思わなかった。紹運こそこの乱世に咲いた華(乱世の華)である」とその死を心から惜しんだと伝わる。
秀吉は島津を降伏させると帰途大宰府に統虎を呼び、父紹運の忠節義死を「この乱れた下克上乱世で、紹運ほどの忠勇の士が鎮西(九州)にいたとは思わなかった。紹運こそこの乱世に咲いた華(乱世の華)である」とその死を心から惜しんだと伝わる。
貴殿の武功は十分証明されました。降伏されたし!
と問いかけた時、紹運は敵味方見守る中櫓の上から、「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。貴方自信も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と応え敵方の薩摩軍からも感嘆の声があがったと言われる。
紹運の部下で逃亡したり島津軍に降伏したりした将兵は一人もいなかったと言われそれだけ紹運は部下に慕われていた。紹運自信も一人で17人も斬りつけたという。籠城軍763人は2万の島津軍に立ち向かい紹運以下全員玉砕することになる。
と問いかけた時、紹運は敵味方見守る中櫓の上から、「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。貴方自信も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と応え敵方の薩摩軍からも感嘆の声があがったと言われる。
紹運の部下で逃亡したり島津軍に降伏したりした将兵は一人もいなかったと言われそれだけ紹運は部下に慕われていた。紹運自信も一人で17人も斬りつけたという。籠城軍763人は2万の島津軍に立ち向かい紹運以下全員玉砕することになる。