時間の密度と価値とスマホ | Natural Days

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スマホでソーシャルゲームが流行っているらしい。
やったことはほとんどない。

スマホでいつでもネットにアクセスできるようになったせいで(PCよりも圧倒的に何時でもという度合いが強くなった)時間の細分化が起きている気がする。それとも細分化していた時間の使い道を皆が見つけたということなのか。しかし、それが逆転することもあるかもしれない。むしろ、スマホで行われる商売というのはそういうものなのだろう。

物やサービスが多様化し、がっつり利益を得られる業界というのは少なくなったのだと思う。
若者の~離れという言葉があるがそれは興味を持つ対象が増加し多様化したことで、1つ1つに集まる人の密度が圧倒的に小さくなってしまっただけではないかなと考える。そして、数ある一つに興味を示すのではなく、広く浅く興味を持つようになったんじゃなかろうか。それだけ、人が興味を持てる対象が増えすぎてしまった。逆に、深く嵌っていないということは新しいものにも好奇心は旺盛なのだ。また、新しいものが出ればそちらに興味を持つ。そして、更なる細分化が起きる。どっちつかずになり、人が使う時間がどんどん細分化していく。

今の世の中で行われている商売は、如何にユーザーの時間を手に入れるかだ。興味を持ってもらって、それに時間を費やしてもらえるかだ。その筆頭がスマホだと思う。

電車を待つ時間。食事を注文して待つ時間。小さな時間の間のユーザーの時間を小分けに奪う。何もしていなかったユーザーの時間を使う方法を提供する。やはり、それにつかれている人は増えているのだろう。けれど、このレースをいつまで続けられるのだろう。
時間を切り刻んでいくこの動きに何時まで乗っかり続けられるのだろう。

ウォークマンが出るまで、歩きながら音楽を聴く文化はそれほどなかっただろう。
移動という行為と同時に音楽を楽しむという行為の並列化を提供した価値というのは圧倒的だったのだと思う。

人が何かを作り出すことで提供してきた価値というのは
①容易化
②時間短縮
③並列化
④新しい価値の創造
あたりが主だと感じる。
①はそのまま。特定の人しかできないことを誰にでもできるようにしたこと。
②もそのまま。車など、移動にかかる時間などを短縮したこと。
③は上の例。同時にできるようにしたこと。
④は別格。これは革新的なもの。たとえば写真。目の前の風景をそのまま残せると誰が想像しただろう。

スマホは①を提供したと考える。インターネットへのアクセスを容易にした。よりつながる社会を生み出した。
小さな時間を使っていたはずが、逆にそれをするために時間を集め出してはいないか。
それは本当に価値のあることなのか。時間の細分化がそれぞれの活動を陳腐なものにしているような気がする。