――これは、偶然じゃない。
今しかない、と直感した。
一度、息を整える。
そして、口を開いた。
「……実は、今、白咲とは別居しています」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「結婚してから、気に入らないことがあると無視や暴言が続いて……ただ、子供もいますし、上手くやっていきたいと思ってずっと我慢してきました」
言葉にするたびに、過去がフラッシュバックする。
「もちろん、私にも非はあったと思います。至らないところも沢山あっただろうし、知らず知らずのうちに我慢させてしまったこともあると思います」
一瞬、言葉を切る。
それでも、ここだけは外せなかった。
「でも……決定的だったのが、一昨年の不貞でした」
空気が変わる。
「探偵を使って、証拠を取りました」
あの時の自分をどこか遠くから見ている感覚。
「その相手に対して私が訴訟を起こし…
それが原因なのか、逃げるように家を出ていきました」
喉が詰まる。でも、止まれない。
「それで……今に至ります」
気づけば、涙がこぼれていた。
「開業したことは当然知っています。でも、大学を辞めることは一ヶ月前に突然知らされて……」
言葉が途切れる。
「給与口座も勝手に変えられていて、退職金がいくら入ったのかも“アナタには関係ないから”と言われ、教えてもらえなくて……」
「生活費も、十分に渡されていたとは言えませんでした」
「必要なお金をお願いしても、理由を聞かれて断られることもあって……」
「クリニックには一切近づくなと言われて……私も子供も一度も入ったことがありません」
「外での顔と家での態度があまりにも違い過ぎるのです」
最後まで話し切ったとき、呼吸がうまくできなかった。
涙が止まらなかった。顔を上げることもできないまま、時間だけが過ぎていく。
院長先生は、何も言わなかった。
ただ、じっと一点を見つめている。
その横顔はいつもと変わらないのに――
空気だけが、明らかに違っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げ、静かに口を開いた。