花神 上四
蔵六が江戸に帰ったのは六月十六日であった
この時期、吉田松陰を乗せた檻車が江戸の獄舎に移されるときであった
時勢が洋学者を求めている
幕府が蔵六を求めたとも時勢であり
桂の手紙も時勢の磁場で江戸に発せられた
長州生まれで村田蔵六と言う人物が幕府の教官をしている
諸氏はご存知か、もし知らず捨て見にするは藩の恥である
長州藩でも蘭書会読会が開かれた
青木周弼が蔵六に交渉した
私のような若輩者にわざわざ老大家の青木先生が
会読会は六本木麻布藩邸で開かれた
頼みがあるのだが
ある時、適塾の先輩であり、蕃書調所の先輩でもある東条英庵が蔵六に言った
貰い子を殺した女がいる
乳飲み子を貰い、養育費を取り、その子を殺して捨てたと言う女
それが、死刑に処せられた
幕府は、腑分けをしてよいと言う
なにぶん、女の刑死者が少ないため、官医も喜んで昂奮しているが執刀に自信のある者がいない
尊公に是非頼みたい
他に人はありませんか
諸権はみなあなたを推薦するのです
場所は、千住小塚原です
蔵六は風呂敷から解剖刀と解剖手引書を取り出した
刑吏が白布を取り除く
蔵六は一礼した
この人は存生中何をしたか存じませぬが、今人を救うべき医学のために貢献される、既に聖人である
蔵六は解剖した
膀胱でござる
子宮でござる
卵管、卵巣
この日、松蔭が斬首される
この帰路、桂が蔵六を見るのである
あっ!
蕃書調所の村田蔵六先生です
桂が驚嘆したのはその風景であった
蔵六が解剖刀をふるってる
いかにも力が充溢しゆとりを持ってふるってるところから、自然な胆力が生まれ出ていて、周りの空気の密度を高くし、その風景を一幅の名画のように美しくしていた
偉い男がいるものだ
あれは、松蔭先生が生まれ変わったのではないか
今日、私は松蔭先生の遺骸に接した
このため心気が高ぶっている
しかし、あの村田蔵六という人物には一種神韻があって尋常の男には思えなかった
吉田松陰と村田蔵六という死者と生者が小塚原刑場という場所で遭遇した
是非、村田蔵六を長州藩に召し出さねば
うかうかすると幕府に取られてしまう
桂は蘭学の総帥青木周弼と官僚周布政之助を動かした
どうも百姓の出だからいきなりご譜代にすることはできない、進歩的な周布でさえそんなことを言う
ご譜代とは先祖代々仕えてきた士分以上の身分で正規の上士である
時は井伊直弼の専制政治の暗い時代であった
徳川家だけの貿易で経済に変化が起こり物価が高騰し庶民は苦しんだ
その井伊が万延元年三月三日大雪の白昼、水戸浪士団に襲われ落命する
井伊の急死が政変を呼び、志士たちの対幕意識を変え、侮幕気分が一気にみなぎった
蔵六が麻布の長州藩邸に来ると、桂が待っていた
藩邸の裏の料亭で、
ちょっとぶしつけでごさるが、長州藩に来て頂きたい
しかしながら薄禄である
扱いは馬廻り役格でお雇に相成ります
ああ、そうですか
すでに決めておることで、青木周弼先生にも申してあり、拙者は長州様に参る
処遇などご都合でよろしい
イネは横浜にいる
材木商の傍らで産科医を開いた
村田先生は宇和島を去られるらしい
イネは江戸へ急いだ
たいそうなご陽気ですな
ポンペについて産科を学びたいという
宇和島からお身をお引きになるそうでございますね
村田蔵六は惜しい、他藩なら断るが、長州なら断れない
宇和島も長州も日本の中です
だから、ポンペ先生のもとに行きます
夏になった
蔵六は長州麻布藩邸でオランダ語、数学、弾道学、兵学を教えた
鳩居堂の門人を引き取った
しかし、オランダ語だけでいいのか
新しい産業文明を背負っている言語がオランダ語ではなく英語であることに蔵六は薄々気づきはじめた
福沢諭吉は安政五年適塾を出て江戸に行く、奥平家の江戸藩邸から蘭学を講じてくれと招かれた
ときに二十代半ば、才弾けすぎておっちょこちょいであった
江戸の蘭学はどの程度か
大家を訪ね難しい蘭文を示し、このくだりはどう解すべきでしょう、教えを乞うた
たいていの大家が誤訳した
江戸の学者は恐るるに足らない
福沢は築地鉄砲洲の中津藩の一角を借りて塾を開いた
蘭学自慢の福沢が程なく深刻に自信を失う
横浜の開港場を見物しよう、江戸を出た
徒歩で十二時間かかる
深夜江戸を発ち昼に横浜に着いた
漁村に毛の生えた程度であった
仮小屋程度の商館があちこちにあり、外国人がいる
商品もあれば看板もある
ところが福沢に衝撃を与えたのは、その文字が一字も読めなかったことである
なんということだ
これらの看板が英語もしくはフランス語であることを福沢は知らない
大坂の蘭学書生が江戸へ下れば大先生だ
オランダ語と医学、生理学、化学、数学を身につけた福沢は地球のことはなんでもわかっている気になっていた
よほど衝撃だったらしく、半日歩いた末、宿も取らずに江戸へ帰った
あの看板の文字は何だったのだろう
これからは、えげれす語だ
蘭学の窓は小さい、英学の窓は大きい
聞き回るうちに、長崎通詞に森山多吉郎というものが、英語もできることを知った
小石川金剛寺坂に住んでいるという
さっそく訪ねたが、森山の多忙は非常なもので、小生意気な小僧を塾頭にしてあるから初歩をお学びなさいと言った
それが福地桜痴である
しかし福沢は小僧から学ぶ気がせず、独学を決意した
しかし仲間が必要である
村田蔵六がいた
福沢が蔵六を訪ねたのは、晩秋、雪まじりの雨の日であった
油合羽に笠の雨装束で、鳩居堂の軒下で身から剥いだ
バサッ
あんただったのか
蔵六は正体不明の顔で福沢を見た
福沢はこういう顔つきが気に入らない
人を懐かしがらぬ男だ
たいそうご勉強だそうだね
福沢も敬語を使わない
実は英語を学ぼうと思っている、辞書だけは手に入れた
あたしと一緒にやる気はないか
えげれす語、蔵六は雨を見た
蔵六は気分が動かない
しかし横浜に行って驚いたのだ
英語一色で塗りつぶされている
私には英語は不要だ、と威張った
そうかえ
福沢は笠をかぶり雨の中を駆け出した
福地桜痴はしゃべることを中浜万次郎に学んだ、ジョン万次郎である
万次郎はこの年三十二歳、堂々たる幕臣で外国方に出仕していたが、前身は土佐の漁夫で姓さえなかった
十四の時、沖で嵐にあって大洋を漂流し、アメリカの捕鯨船に拾われ、初等教育を受けた
転々として二十四に琉球に送り返された時には日本語を忘れていた
福地は江戸に出て妓楼へゆき、一日で遊女言葉を覚えたほどで、すぐ英語が喋れるようななった
蔵六は福沢の申し出を蹴ったものの考え込んでいた
福沢が、これからは英語だと、イキイキした好奇心の顔を忘れられない
英語はやってみよう
しかし師匠がいますか
ヘボンというアメリカ人が横浜にいます
横浜が開港されるや、遣米使節を乗せた咸臨丸が江戸を出航して、福沢は潜り込んでいた
では、横浜へ行きますか
幕府に、英語を学びたい、と申請書を書いた
それは結構なことだ、積極的に賛成した
が、攘夷浪士が襲撃すまいか
ヘボンはペンシルバニア大学医学部を出た医師で、ニューヨーク第一の病院を持ち億万長者の生活をしていたが、財産全てを整理し日本へやってきて、古寺を借りて貧民治療を始めたのである
蔵六は江戸横浜を毎日通った
これを二年続けた
思い切って馬で行くことにした
私は馬に乗れません
武士の子なら十代で馬術を学ぶ
変な格好だ、中間が笑いをこらえるのに困った
あの村田さんが不世出の名将であったことはまぎれもないことだが、あの江戸横浜の往復の姿からどうにも理解できない
原田は述懐する
ヘボンは蔵六達を幕府の高官子弟として、数字から教えた
数字の計算はソロバンを使ってはならない
ところが、英語ができないくせに数学がよくできるのである
二次方程式や平面三角法、球面三角法などに通じていた
実際のところ、アメリカの大学生でもこれら若い日本人を負かすことはできないであろう
全く驚くべき国民である
この間、蔵六達を攘夷テロから守るために多数の幕府役人が付いていた
その蔵六が後に攘夷の総本山長州の総大将になるとは、日本人とは一筋縄では捉えられない
