四の十四 一字三星旗
三田尻は長州第二の商港で、港口を向島にフタをされ、潮が淀み、磯の香りが濃い
問屋口辺りに回漕問屋の黒ぐろとした焼き板張りの大厦が並んでいる
そのなかに貞永久右衛門という商家があり、回漕業の他塩田を営んでいた
この頃日本の塩田が年五百万石で、長州が百万石、そのほとんどが三田尻で作られる
貞永家の富は推して知るべきであろう
貞永は商人ながら教養人で、下関の白石正一郎と同様、志士に奔走資金を提供していた
晋作も当然懇意である
高杉様はいつもと様子が違っておられました、維新後、久右衛門夫婦は語っている
すっと入って来て、二階を拝借します、と丁寧にて言いながら、階段を上った
あとは物音もしない
妻女がお茶かお酒でも持って上がろうかと相談したが、久右衛門はためらった
そっとして差し上げるべきではないか
しかし、ちょっと様子を見て来よ、と囁き、妻女にのぼらせた
妻女が足を忍ばせてのぼると
晋作の体が逆になっていた
両足が天井を指し頭が畳に転がっている
両手で後頭部を抱えていた
ちょうど越後獅子のような格好で、両足を床柱に沿うて高げていらっしゃいます
息を忘れたようにものを考えていらっしゃるご様子で、声もお掛けせずに引き下がりました
晋作は一時間ほどそうしていた
やがて降りてきて草履を履き、大変お邪魔しました、また参ります
と言い、出てしまった
この時が、久右衛門にとって、晋作を見た最後になった
この一時間の間で、幕府艦隊に対する戦法を思案しきった
この男の生涯が短かったように、思案は常に短切であった
優れた剣客の剣技のように行動そのものが思案になっており、時に飛鳥のような、時に潜魚のように、常に政機に嵌り、次の政機を呼び起こす誘い水になったが、三田尻の貞永家の二階の一時間は、おそらく彼の生涯で最長の長考であったであろう
彼は丙辰丸、オテントサマ丸に飛び乗った
船は蒸気を上げて動き出し、やがて周防沿岸の多島海を直進した
海上を六十キロばかり走ると、細長い半島が南に突き出している
その半島の先端に接続して長島という島があり、半島の岬と島の間が海峡になっていて、その海峡に上ノ関という古い港がある
その上ノ関港に長州藩兵が入っていることを晋作は知っていた
この陸兵は山口政事堂を作戦本部にしている村田蔵六、後の大村益次郎が派遣した兵で、奇兵隊二百を中心に他は百姓兵である、隊長は林半七と言った
晋作は半七を軍艦に呼び、
こんな柴舟で、と軍艦の舷を叩き
ろくな戦はできぬが、やりようによってはなんとかなる、工夫はこうだ
軍艦の夜襲をやる、というのである
へぇ、そんなことができるのか、半七は素人ながら思った
まして晋作もズブの素人で、機関長の田中顕助もかまを始めて炊いた土佐浪士であり、砲隊長の山田市之允も陸砲を知っているに過ぎない
いいか、海陸共同するのだ
半七の陸軍を夜陰に紛れて大島へ上陸させる
幕兵二千は大島の久賀にいる
幕府艦隊も久賀沖に錨を下ろしている
晋作の丙辰丸が幕府艦隊の中へ暴れ込む
その混乱に乗じて、半七が久賀の山から駈け降りて、幕兵のなかに斬り込み潰走させる
要するに、度肝を抜くのだ
度肝をぬかれた兵は大束になっても大したことはない
晋作は言い捨て、錨を上げ出てしまった
半七は慌てて大島上陸の用意をしたが、晋作の速度には追いつかなかった
浮城のような幕府海軍の軍艦三隻、蒸気商船に砲を積んだ一隻、洋式帆船が一隻、久賀沖に錨を下ろしている
さらに陸兵や物資を運搬する和船が無数に碇泊していた
彼らの不用意さは、汽罐かまの火を落として寝静まっていることであった
島影づたいに忍び忍び近づいた
幕府艦隊が大島の久賀の山を背景に錨を下ろし、火を落とし眠り込んでいたのである
しかも不用意なことに船窓には灯りが漏れていた
ちょうどいい時に来た
舳先に立っている晋作は砲側の山田を顧みて言った
突入!晋作は命じた
同時に砲門を開き、射撃し間断なく撃ちつつ、艦隊の間を縫い、水面に舞うみずすましのように機敏に動き回った
砲弾はことごとく命中し、艦上や舷側を破壊して火光が四方に飛び、丙辰丸の連中は小銃を撃ちまくった
幕艦の乗務員は狼狽するのみであった
かまに火を入れる者、甲板を走る者、砲に取り付く者、砲弾が弾薬庫にしまわれているらしく、第一弾が発射されるまでずいぶん時間がかかった
丙辰丸は右へ左へ飛び、幕艦は味方の艦を撃ち、撃ち返し被害は大きかった
この間、晋作は太刀を杖に艦首に立ち続けていたが、やがて幕艦の煙突から黒煙が出たのを見て
よかろう、砲門を閉じ、いっさいの燈火を消して闇に紛れて逃げた
この後、幕府艦隊は錨を上げて大島を捨てて、長州海域から遠く東へ去った
この翌々日、半七の陸軍が大島で幕軍を襲い、一人残らず駆逐した
この海戦が慶応二年六月十二日である
晋作は下関に帰ると、山県狂介、福田俠平、三好軍太郎らに使いを出し、阿弥陀寺の二階に集め、海峡を眺めながら
次は小倉だ、と宣言した
晋作の勢いに一同霰に打たれるようであった
晋作は肩で息をし呼吸がせわしなかったという
晋作はすでに自分の健康の前途に見切りをつけていたようであり、酒席でも寝入ってしまうことがある
毎夜、寝汗で肌着が濡れ、のんき者のおうのでさえ気づき、
お医者に診せたらどうどす?
晋作は一笑に付した
ただ、大島で幕軍を破ったあと、妙に松蔭の晩年が思い出され、
松蔭先生は、死にたくはなかったであろう、とつぶやいた
松蔭が江戸伝馬町の獄舎に繋がれなているとき、
僕、去冬以来、死の一字、大いに発明あり、死して不朽の見込みあらはわいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
人生は時間の長短ではない
小倉城を一気に抜くは上策なれど、まず足元を枯らす、沿岸の敵を駆逐し、次いで小倉城を衝く
小倉城は、賢才小笠原壱岐守が取っていた
晋作はこの敵将に一詩を寄せた
言を寄す、上国の賢丞相、つとにまさに書をなげうって鉄鞭をひっさぐべし
読書好きの賢丞相、ぐずぐず書物など読んでおらず、書を捨て鞭を取り、我が長州へ攻めて来い
晋作は漁夫に持たせて小倉に送った
むろん返事はない
が、返事を待つより先に、長州軍が海峡を渡り九州に上陸した
晋作が大島で海戦をやってから五日目の払暁である
長州軍はついに下関海峡を渡った
二艦が門司沿岸に接岸して幕軍の砲台を砲撃し、三艦は田ノ浦の砲台を砲撃して砲撃を沈黙させた
下関の白石邸から戦況を見ていた晋作は、
狂介、よかろう、とあごをしゃくった
陸軍部隊は渡海せよ、という命令である
狂介は磯を走り赤白の旗を振った
数艘の和船に分乗していた長州軍は一斉に進発した
先鋒は奇兵隊、長府の報国隊である
晋作はひとり小舟に乗り、屈強の漁夫に櫓を漕がせて進んだ
小倉兵は盛んに銃発して防いだが、長州軍は銃弾の雨をおかして上陸し、二手に分かれ、七割は田ノ浦に向かい、三割は門司へ急行した
一時間後、田ノ浦の火薬庫は大爆発し、長州の白兵突撃で占領、門司は簡単に落ち、幕軍は大里に向かって逃げた
中軍を進めよ、晋作は命じた
下関に待機中の中軍が砲を和船に積んで海峡を渡ったが、もはや戦闘はない
門司、田ノ浦に陣地を丹念に破壊し、幕軍が集めていた和船百艘を焼いた
さらに大里の本営まで進撃しよう、という者があったが、晋作は磯風に吹かれて返事もしなかった
図に乗りやがって、晋作は思った
この少数兵では幕軍の密集地には攻め込めない
へを集結して下関へ戻った
これが一合目だ、大里攻めは二合目、小倉攻めは三合目だ
帰路、晋作は船の中で身を横たえながら、中軍参謀の福田俠平に言った
吹かは風で聞こえない
晋作の口もとに耳を寄せた
そのとき晋作の額に血の気が失せている事に気づいたが、気にも止めなかった
白石邸に戻り、邸内に入ったが、正一郎に戦いの報告する気力が尽きている事を知った
が、正一郎のいる表座敷へ行き、あらましを語ったが、正一郎が反問したのは、戦況ではなく、晋作は健康のことだった
お風邪でもひかれましたか?
晋作の顔色がよほど物凄かったのであろう
晋作はチラッと笑い少年のような表情を見せた
このひとはかつてこういう表情をしたことがあったか
昨夜、おうのと寝床のいくさを致して
座敷に戻ると、半ば倒れるように横になった
おうの、肩が凝る、止めなかった言った
息が苦しくなるほどに凝っている
おうのが膝を寄せて、そっと揉んでやると、晋作は声をあげた
生き返るようだ
おうのはその声に勢いづいて力を入れた
首筋から肩にかけて板のように硬い
おうのは懸命に揉んだが、熱がこもっていたらしく、揉んだことで熱を引き出し、夜中、高熱を発した
風邪だ、と言って医者を呼ばせなかった
その後、七月三日の第二次九州攻撃にも晋作は総指揮を取り、大里本営を占領した
次いで七月二十七日の第三次九州攻撃にも晋作は陣頭に立った
目的は小倉城を抜くにあり、激戦が連続し敵塁に迫っては退却し一進一退したが、二十九日になって戦局が好転した
閣老小笠原長行が小倉城を抜け出して軍艦富士山に投じて逃げてしまったのである
残された小倉藩は戦慣れした長州軍に立ち向かう自信がなく、自ら城を焼いて田川郡の山地にこもった
晋作は平装のまま小倉城に入り、城頭に高く、一字三星の毛利家の旗を立てさせ、しばらくそれを眺めていたが、あと始末を佐世八十郎、後の前原一誠や山県狂介に任せ、白石邸に戻った
小倉が陥ちた、おうのに言い、仰向けざまに寝転んだまま筆をとった
しばらく詩想を練ってみたが頭に煙が入ったようで喜びもわかず、文字も動かず、そのうち力尽き筆を落とした
わしは、果たした
果たせばすなわち詩というものは無用なのであろう
この夕、ついに一食も摂ることなく、筆を畳の上に落としたまま朝まで眠り続けた
