四の四 V路上の戦闘 | WriteBeardのブログ

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四の四 V路上の戦闘

絵堂で一敗したあと、政府軍は本腰を入れた
連中の数はざっと二百だろう
藩軍が繰り出せば負けることはありえない、彼らは袋の鼠、殲滅するには絶好の機会、椋梨は積極的である
が、椋梨は戦場に出ぬ方がいい、圧倒的意見
椋梨が出れば、彼らの戦意を煽る
すると、軍令はどなたが?
結局、合議で大略を立て、現地軍を進退させることになった
古来、政府軍が革命軍に敗れるすべての要素を萩の政府は持っていた

軍を二つに分けよう
下関の高杉に対しては、児玉若狭が二千を率い討伐に行く
ところが、若狭軍が湯本まで来た時、ひっ返せ!という伝令が来た
申し上げまする、古式どおり片ひざついた
高杉一件はやめ、大田の諸隊を討つ、湯本を迂回し諸隊の背後を突け
今さら何を言う、児玉は鈍く反応した

山県は、味噌徳利とあだ名された
徳利に入った味噌はおいそれと出ない

わずか二百では、側面、背面を守ることはできない、前方だけで行く

児玉軍が指示どおり背後を突けば、諸隊は壊滅したであろう
が、児玉軍は物見遊山の足取りで行軍していた

政府軍の先鋒は粟屋帯刀である、あの敗走を恥じ、他の勢は借るまい、一手で踏み潰してみせる
粟屋軍が南下したのは、正月十日の未明

大田から北へ道が二本出ている
V字になっている、左が本街道
百姓どもが、戦をなめとる、罠にかけちゃる
本街道で猛烈な射撃戦を演じた、実は陽動作戦で、主力ではなかった
V字の右側に有力な部隊を送り南下させていた

山県は大田の天満宮を本営にしている
くぬぎ峠から伝令が来て、援軍を頼みますと言った、敵は主力です
主力だろうか、山県の疑い深さが偉大な知恵者にした、味噌徳利が軽挙をさせなかった、援軍はいずれ出してやる

山県は粟屋の陽動作戦を考慮に入れていた、本街道には雑軍を、右側の間道に奇兵隊を布陣していた、中央は山である
権現山と小中山が牛の背のように盛り上がっている、右の道は道とは言えないであろう、山の脚を大田川が南流し川沿いの杣道という程度で砲車の通過は無理だった、馬も無理だろう、それだけに奇襲部隊の通路に使うに違いない

このV字の右側に進出した参謀は勇猛で聞こえた三好軍太郎、隊長は久我四郎、杉山荘一郎、砲隊長は三浦梧楼で兵力は七十に過ぎない

三好は兵力寡少を補うため、地雷火を用いた、手製の二個を道路に埋め長い導火線を草むらに引いた
V字の右側の端に、大木津という難所がある、三好はここを最前線に兵を伏せた、午前十一時、川向うの藪に千人の部隊が現れ川を渡り始めた
上士の選鋒隊である
三好は十分に引きつけ射撃を命じた
撃て!
が、選鋒隊は兵力の大きさを恃んでどんと渉り、対岸の部隊が援護し、奇兵隊は支えられなくなった
地雷火まで誘導しよう、退却を始めた
道は一筋、選鋒隊は勝ちに乗って追い、地雷火の埋設点まで来た時、先頭が踏んだ、次々に踏んだが発火しなかった
導火線が切れていたのである

一旦退却した兵の脚は止まらない
やっと殿ケ浴まで来た時、退却軍を整頓し応戦の体勢をとった
たちまち激烈な戦闘が起こった
奇兵隊にすれば、ここを突破されれば大田本営は壊滅する、三好は岩頭に身体を露出し士卒を鼓舞した

本営では山県が驚いた
銃声が次第に近ずき、耳そばで鉄敷を打たれるように騒々しくなった
慎重居士の山県は自分を失った
のち、元帥として明治陸軍の法王にようになった軍歴のうち、唯一軍人らしい指揮行動の履歴がこの時始まるのである

殿ケ浴が危ない!
槍をとって馬に乗り駈け出した、単騎であった
そばにいた予備隊四十も立ち上がり山県の後に続いた、隊長湯浅は奇声を上げた
隊士に伍長鳥尾小弥太、山田鵬介といった有能な男がいた、この湯浅隊は最も勇敢だった

この時、山県がとった径路は、戦術上、これ以上ない優れたものだった
V字の中央、小中山の山中を突っ切って敵の側面に出ようとした
道は笹で覆われた木樵みちだったが、たれも記憶にないほど夢中に横切った
やがて稜線を越え、敵の選鋒隊を見下ろした時、山県は射撃を命じた

我ら諸隊が生きるも死ぬもこの一戦にあり!負ければ刑死ぞ!刑死がいやなら、ここで死ね~!

湯浅は白兵戦を決意した、が眼下は草だけで身を隠す地物もない
湯浅は剣を上げ
念仏せよ!念仏せよ~!
と怒鳴り、南無阿弥陀仏!と連呼しながら駆け降りた
銃弾が前後左右の山肌に突き刺さった
隊士は縦隊になって選鋒隊の脇腹に突っ込んだ
三好はこの機を逸せず白刃を挙げて突撃を命じた
山県は手元十五を率い最も近い竹藪から狙撃させ、崩れの兆しを見るや、突撃に移った
山県だけが騎馬である、馬上から声を嗄らし、
死ねや、死ねや~!と叫び
敵が崩れると、
追え、追え~!
と、長槍を振り回し叱咤した

白兵戦では奇兵隊が選鋒隊を圧倒した
選鋒隊はついに崩れ、大木津に下がり、さらに絵堂まで逃げた
山県は深追いしなかった

なお、V字の左側、本街道では激戦二時間ののち、粟屋軍を絵堂まで駆逐した

この慶応元年正月十日の決戦は圧倒的に諸隊の勝利に終わった
が、藩政府軍は大軍であり、このあと重厚な包囲体勢に移った
大田の諸隊は孤立無縁で、このままでは疲労と消耗で自滅せざるを得ないであろう

御堀耕助

政府軍はいずれ巻き返してくる、その時は死だ
不幸なほどに軽率さに欠けた男にとって悲鳴をあげたいほどに辛いことだった
どう考えても活路を見出せようとは思えなかった
どうせ、死だ
全員に死を覚悟させねばならない
儀式が必要だった

幹部は大田の天満宮に集まられたい
やがて将校たちが集まる、返り血を浴びたもの、負傷して手を吊ったもの
山県は神主屋敷の座敷を借りた

幸い、勝ちはしたものの、損害も大きい、いずれ彼らは力を新たに押し返してくるだろう、その時の苦戦は今日の比ではあるまい
本夕は軍議に集まって貰ったが、何を議するにあろう
ただ死力を振って敵を退けるに如かず
であるがゆえに、金麗社の神前に誓い、命を神に預けてしまおうと思う
生きながら鬼になってしまおうと思うが、おのおのどうか

一同異存はない、一同髪を剪った
剪った髪を奉書紙に包み、名を書き、社頭に整列し宝前に進み奉納した

山県は孤軍とみていた
が、藩政府はそうはみてない
軍事暴動が防長ニ州で多発している、どこから手をつけていいのか、狼狽しきっていた

例えば、御堀耕助が演じたゲリラ活動がそうであろう
御堀耕助は太田市之進と称した、典型的軍人で蛤御門で指揮官として勇戦し絵堂奇襲戦で活躍した
彼は維新後肺結核で病没したが、生きていれは、山県と勢力を二分する存在になっていたかもしれない
従兄弟に乃木希典がいる、死の病床にあるとき乃木を枕頭に呼び陸軍出仕を勧め、山県と薩摩の黒田清隆に頼んだ
乃木はこの推薦で二十二でいきなり陸軍少佐の処遇を受けた

御堀耕助が絵堂奇襲戦の後、
よかろう、私は別行動を取りたい、とゲリラ戦を企画した
別働隊を率い、藩内を転戦し、みちみち農兵を集め勢力を大きくしたいという
山県は驚いた、僅か二百から別働隊を割かれてはかなわない、懸命に反対した
が、笑うばかりで譲らず、ついに出発してしまった
出て行ったのは御楯隊三十に過ぎなかった
僅か三十で、どれほどの働きができますか!
御堀耕助は黙殺した、御堀は山県を軽視していた

山県など小僧が大きな顔をしているのは奇兵隊を率いているからだ
足軽如きに戦さがわかるか!
結果から言えば、御堀が正しかった

まず、小郡の代官所を襲い、農民を煽動し軍勢を膨らました
小郡でも暴発したか!藩政府は大恐慌を起こした

御堀はこの間、農村を駆け回り大庄屋二人を味方に入れた、林勇蔵と吉富藤兵衛であった

かつて晋作はクーデターにあたり吉富に二百両、林に銀八十貫を借りている
御堀は二人に、萩の殿様のために農民を募って貰いたい、と説いた

二人は快諾し、林は二百を集め、大小を帯びさせにわか武士に仕立てた、吉富に至っては千二百集めた
正月十二日、忠義じゃ、世直しじゃ!と山口政事堂を占領した

恐ろしいばかりの勢いであった、後に御堀が語った

政事堂に二十八人の農民軍幹部を集め、諸子は決して一揆ではない、むしろ恐怖を込めて規定した、鴻城軍と名をつけた

幕末の騒乱はついにここまで来た
御堀が絵堂を離れて四日間の出来事である、御堀でさえ、白昼夢を見ているのではないかと思った

この農民軍に大将を選ばねばならない、是非、士分の方に
士分を大将に戴かねば、一揆になってしまう
御堀は大将を希望された、が御堀は脂ぎった野心家に見られることを怖れた
御堀はそういう生臭さに耐えられない

聞多がいる
最近では歩けるようになったという
聞多ならうまくやれる
二人の庄屋は承知した、が井上は囚人である
御堀と吉富は井上の兄の五郎三郎に説いた、五郎三郎は藩法を犯すことを怖れた、それ以上に、拒めば百姓に殺されることを怖れた

聞多を強奪してくれるなら

御堀と吉富は百人で井上家を包囲し座敷牢を壊した
こうして井上聞多は千二百の農民軍を率いて藩内の軍事的形勢を見ることになった

すでにクーデターではなかった、革命の様相を帯びはじめてきた
晋作は下関に釘ずけされていたが、絵堂、大田の勝報をきき、戦闘運動に移ろうとしていた