一の一 松本村
この顔の長い、薄あばたのある若者のどういうところがそれほどの影響を藩と藩世間に与えるに至ったのか、それを思うと、こういう若者が地上に存在したと言うこと自体が、奇跡に類する不思議さと言うより他ない
杉家の次男寅次郎は、幼い頃から吉田家の養嗣子になっていた
松蔭五歳のとき養父が死に当主になった
近所に玉木先生と言う人物が住んでいる
松蔭の父の末弟で叔父である
狭い村道に面して粗末な門がある、屋敷を樹木が生い枝が笠のようにかぶさり全体がひどく暗い
その暗い中から、ときどき目ばかりを光らせ薄刃のように痩せた玉木文之進が出てくると、路上で遊んでいる子供は息をひそめ足音をしのんで逃げた
文之進の雰囲気は狂気としか言いようがない
百姓の母は、子供がむずがると、それ、玉木先生が来る、と言えば泣き止んだ
玉木先生は藩士である、が無役でいつも家にいる、時間がふんだんにあるため、松下村塾と言う塾を天保十三年、1842年に開いた
松蔭十二の時である
松蔭が二十五、自宅禁錮されてこの塾を再興した
文之進は藩命により松蔭の無給教師になった、松蔭五歳に時からである
その教場は野天である、文之進が畑仕事をする、松蔭は畔に腰を下ろし本を開いている、文之進が諳んじる、松蔭が朗読する
文之進は謹直だが時々魔王のように荒れた、鍬を捨て、
虎!傲ったか!
と飛び上がり松蔭を殴り倒した
書物の開き方はぞんざい、肘が緩んでいた、そんな理由である
かたちは心である、と
ある夏のことである
暑さで顔中汗で濡れ蝿が集って痒かった、松蔭はつい手をあげ掻いた
これが文之進の目に入るや、折檻が始まった
それでも侍の子か!
殴っては崖へ着き飛ばし切株に横腹を打って気絶した
たまたまこれを見ていた母お滝は、
虎や、いっそお死に、死んでしまいなさい、と呟いた
文之進は兵学の他、経書、歴史、馬術、剣術も教えたが、侍とはなにか、と言うことをこの幼い松蔭に叩き込んだ
ただ節句は塾は休みで、鬼遊びをした
鬼は目隠しをして、ゆらさん、こっち、手のなる方へ、と囃すと文之進はおろおろと祇園一力の由良之助の真似をし酔ったが如く道化てまわる
維新前、親戚の乃木希典も預かり苛烈極まりない教育をした、弟の正誼を養子にし同じ教育をしたが、前原一誠の乱に正誼がくみし非業に倒れた
この反乱の徒を出したのは我が教育の罪である、と先祖の山に登り自害した
松蔭十歳で藩主毛利慶親の御前で講義をした
文之進だけでなく養父の門人も、寅次郎のために家学を教授せよと藩命を受けた、藩ぐるみの純粋培養と言える
嘉永二年、松蔭十九、御手当御内用掛と言う役に就いた
外海から侵入する紅毛人を防ぐ国防である
二十歳の若い教授は、この頭、なんと小さいか、是非遊歴したいと言うと、師匠達は身を乗り出して賛成した
どこへ行くつもりか
平戸へまいりたいと思います
わしも平戸が良いと思った
平戸へ行け
暗いうちに提灯をぶら下げ城下を発った
十二里、四十八キロ歩いた
東海道を旅する者は、七里が常識だから無茶である
九月五日長崎に入った
平戸の葉山左内と言えば、京や江戸まで聞こえている
十四日平戸城下に着いた
どこか異国のにおいがある
まず、宿を決めねばならない
御やど、と言う軒行灯のかかった家を訪ね、長州藩の者であるが泊めて貰えまいか、と言ったが、愛想よく断られた
やむなく左内を訪ね紹介して貰う
左内は下僕を紙屋と言う旅籠ふ走らせた
その間、左内から伝習録の講義を聞いた
なんと熱心な若者だ
あたりは真っ暗で声だけが頼りであった
下僕が戻り燈明の皿を置くと松蔭の影を壁に大きく写した
あの時の光景は詩にも出来ない、左内は後に語る
宿へ行くと、給仕をお付けした方がよろしゅうございますな
そのように、と答える
夕食に酒がついたが、断った
写筆せねばなりませぬのでと、行灯を引き寄せると婦人が墨などをすって介添してくれる
松蔭はこの婦人が娼妓であると気づかない
国許にいる時は母と妹しか婦人を知らない
婦人に厳しい儒教環境に育った若者は視線を向けることも遠慮した
道中わらじを脱げば女中がいるが、酌婦は夜伽をする
はやく退散してくれまいか
お風呂は?
今日は入らない
汗臭い
おはまは寝るつもりだったからこの汗くさはかなわないと湯を沸かした
おはまが上がってきた
耳だらいに湯が入っている
さあ、お肩を脱ぎなさい
松蔭は母にされるように従順に従う
おはまはかぶさるように背後から胸を拭った
黙って松蔭の帯を解いた
どうするのです⁈
黙って!おはまは言った
外は雨が激しい
松蔭は下帯まで取らされた
この若者ははずがりもせずそこを拭わせている
よほど身分の高い人かもしれない
若様とお呼びすべきでしょうか
私は部屋住みではない、一家の当主だ
では、奥様が?
ひとり身です
おはまは意外だった
細面で痩せ男かと思いきや肩にも腰にも固そうな肉がついていてイキイキと動いている
おはまは階下へ引き下がった
歳は松蔭と変わるまい
松蔭は平戸に五十日いた
気が付いた頃には冬になっている
この島を去ったのは十一月六日で長崎行きの飛脚船に乗った
長崎へ行き天草へ行った
その後、足を伸ばし肥後熊本へ行った、ここで終生の親友宮部鼎蔵を獲る
熊本へ行かれるなら是非池部啓太にお会いなさるようにと紹介状を書いて貰う
池部老人は深夜まで砲術論を語り、我藩におもしろい師範がおります、と宮部鼎蔵を紹介した
程なく、野太い声がした
その人、懇篤にしつな剛毅というべき人なり
歳三十、まゆ濃く肩いかつく山賊の親玉のようだったが、両目が澄み声が小さい、兵学のことになると次第に大声になった
宮部と語りたいが為に延泊した
たまたま灯が尽き油も見当たらない
この肥後人は雨戸を繰り月光を入れた、すでに十二月である
今度、江戸で会えればいいが
松蔭は四ヶ月の遊歴を終えて長州に帰った
寅や、貌が変わったえ、お滝が言う
が、松蔭は江戸へゆきたい
藩庁に嘆願する
藩のおとな達はこの若者に甘い
桜田藩邸
学問のためなら尤もである
殿様が参勤交代で江戸へゆく
三月に萩を出発する、そのお供ということで、と便宜がはかられた
江戸の遠さはどうであろう
萩を出て三十五日、六郷川を渡ったのは四月九日である
泉岳寺で夜が明け、江戸桜田藩邸に着いた
藩邸は林泉が美しかったが、手狭だった
部屋割りを決めて貰えず、あちらの部屋こちらの部屋と落ち着かなかった
係役人に、読書ができないのは困る、一日読書を怠れば一日藩公に損をかける
尤もなことだと、十日目に部屋が決まった
滞留費は藩費、往復旅費、宿泊費と一日米四合一匁の支給、米は生米を頂戴する、それを藩邸の小者に頼めば長屋の台所で炊いてくれるがおかずはない
松蔭は節約のため金山寺味噌をなめ梅干を啜った、式日だけは鰹節を削って醤油をかけて食った
滞在中、二度鰯を食った
親友の壮太郎は、いつ見ても心を弾ませ胸中どういう愉快な事があるのか不平というものが全くない、丁度家に新婦を迎えようとしてそわそわしている新郎のような男だ、と松蔭を印象する
五月に入ると肥後熊本の宮部鼎蔵が江戸にやってきた
藩邸の重役に、宮部君は我が友でありながら学殖識見に勝り師とするに足ると説き、有備館の講師にした
南部藩士江帾五郎とは安積艮斎塾で知り合った
江帾も南部藩きっての秀才だった
手形
とても忙しいのです、手紙も書けぬほどなのです、と兄民治に書いている
藩邸から安積塾、古賀塾、山鹿塾に通うのに一里あり、なかなか運動になります
学者は自宅で塾を開いた
安積艮斎、郡山の人で江戸第一の儒者、経学の専門家
古賀謹一郎、江戸学壇の三巨峰で儒官
山鹿素水、津軽の人、字が読めない、声が迸る度に韮の悪臭が漂う
江戸は友人を作るためにあるのだ、と来原良蔵は言う
どうだ、皆で奥羽へ旅行しようじゃないか
松蔭は躍り上がるように喜んだ
私は直ぐ藩邸の許可を得る、と飛ぶように帰り御用部屋に話した
公費ではなりませんぞ
むろん私費で参ります
されば願い状を書くように
奥羽の天地は地広く山険しく、古来英雄が割拠して奸兇の巣窟であった
沿道に水戸、米沢、会津、仙台があり人物が多い、それらを尋ねて文武の道を問いたい、修行のため十ヶ月のお暇を乞い奉ります
難なく許され、兄に旅費を願った
奥羽旅行とは羨ましい、十両あれば日に一朱使って百六十日、一朱三百九十文で宿料三百文として九十文お釣りがくる、それを昼飯にしなさい
それでは、出発は十二月十五日にしよう
十二月になり、重大なことを気付いた、関所通行手形が要る
手形は要るのでしょうか、御用部屋に質した
手形には藩主の捺印が要るが、藩主は江戸にいない、飛脚が走っても二ヶ月かかり、出発には間に合わない
要らぬと思います、松蔭は力説するが、これは大変だ、と役人
当役の佐世主殿に相談した
それは重大である、と騒ぎ出した
旅立ちは待て、と宣告する
しかし、殿様のお許しは既に降りています、ただ手形一枚のことでございませぬか、と泣くように頼んだが
手形は大公儀の御法である、持たずに行く藩士があれば殿様の御落度になる、と頑として譲らない
一の二 脱藩
同藩の友人に来原良蔵がいる
詩と槍では来原に及ばない
松蔭は槍が下手で話にならない
詩人来原は槍の達人だった、毎朝彼は槍を使い、その姿の美しさは見惚れるほどであった
来原の襟元はいつも清らかで髪一筋乱れてない
その切れ長の目が虚空を凝視して動かない時など奥底に秘めた情熱を思わせる
後の彼の妻は桂小五郎の妹であるが、生涯は短い
その来原が、それはけしからぬ、私が上司に説こう、と言った
何の用だ、佐世主殿は大火鉢に手をかざし言った、そとは雪である
寅次郎のことですが
その一件は済んだはずだ
あれでは可哀想でございます
奇態なことを言う、わしは待てと言ってるだけだ
もし寅次郎が行き倒れになったらどうする、殿様への迷惑は計り知れぬ
わかれば席を立て!
帰室して寅次郎にそう申せ
雪が中壺の小庭に積もっている
松蔭はすまなかったと頭を下げる
長い沈黙のあと、私は脱藩する!
と言った
たかが仲間との約束のために藩命に従わぬばかりか脱藩し、我が身は落はくし一族は罪に落とされる
自分はいま国と家に背く、しかし一度だけである
人間の本義のためである、人間に本義とはなにか、一諾を守ることだ、自分は他藩に了諾をした、約束をした、それを破れば長州武士は惰弱のそしりを招くであろう
しかし脱藩で吉田家は潰れる、寅次郎は流浪する
しかしながら、孔子も言う、小を偲んで大を計る、大の前には一身の身の安全などけし粒のようなものだ
やり給え、来原は言った
私は君の義を助けよう、助けることが私の義である
松蔭は出発した、約束の前日である
水戸の宿で落ち合おう
松蔭は走る足取りで千住を過ぎ下総を越えた、松戸に一泊した
泣く話
確かに奇妙な脱藩である
友人との旅行の約束を守るため、いかにも少年じみている、松蔭二十一、教養は抜きん出ていたが、人格は幼い
追手は来るか、大目に見てくれたかな、安堵する松蔭、長州は若手に甘い
十七日晴天のもとに筑波を仰ぎながら北へ向かった
これより東は水戸領
水戸では他へ泊まってはいけない、永井政介の家に泊まれ、志士である
斎藤弥九郎の子新太郎からの紹介
斎藤弥九郎と言えば千葉、桃井と並んだ三大名流である
水戸には、藤田東湖、会沢正志斎を始め学者も多い、是非長逗留なさることだ
書物を読んでいると、遠くで門を開く音がした、宮部と江帾が入ってきた、松蔭は涙が溢れそうだった
いろいろ話して聞かせることがある
長州藩では大騒ぎで、来原が罪を被った、脱藩を勧めたのは自分だと
水戸を発って七日目、白河で泣いた
江帾と別れるためだ
この夜酒を置く、下戸の松蔭は飲まない、江帾まず泣き、寛斎、鼎蔵もまた泣き、座中皆泣く
宮部鼎蔵は懐から十両取り出し江帾の前に置いた、餞だ
売られる
東北の旅は雪であった
行くこと五百里、日数は百四十日
惜しむらくは、婦人を知らざることだ
途中、酌婦を松蔭の寝床に潜り込ませた、目覚めると横に温もりがある、手を伸ばすと人肌である、松蔭は飛び起き、しばらく婦人を知らずにいたい、と肩を固くした
いや、と妓は言う、どうしても?
どうしてもだ、もし近寄れば刺す、と言った
女は馬鹿馬鹿しくなって去った
松蔭の東北旅行は、水戸から会津、新潟、佐渡、秋田、弘前、青森に至り、盛岡、仙台、米沢から関東、日光、足利、館林を経て利根川へ出、小舟を見つけ江戸まで乗せて貰った
彼らの舟が江戸橋に着いたのは四月五日であった
藩邸に帰った方がいいのではないか、宮部は言ったが、かぶりを振った
既に脱藩したのだ
鳥山家の客になった
しばらくすると、藩のりいんが訪ねてくる
私は捕吏ではないよ、おとなしく藩邸にお帰りなさい
松蔭は帰りませぬ、という
ニャクイなあ、若いという意味である
あなたの罪は軽い、宮部も帰れと言う
松蔭は藩邸に帰る
帰国して沙汰を待て、藩命が下る
松蔭の部屋に友達が集まる
みな、死ぬな、という
縄目を恥じて切腹だけはするなと
家郷
松蔭は罪人になった
普通の旅装でよい、中間が二人つく
四月十八日江戸出発、二十日で長州藩領に入る、月代が伸びている
サの字の門をくぐる
おまえの家じゃないか、民治が迎える
井戸端で足を洗うと着物がビシャビシャになる
おひさ、次妹を母お滝が呼ぶ
ごらんよ、虎兄が帰っておいでてす、着るものを整えて差し上げ
父、百合之助は、済んだことだ、と一言
しかし、松蔭に怒ったのは、兵学教師の山田宇右衛門老人である
なぜ、そのまま脱藩せなんだか、見損なった、おめおめと帰って来おったとは、と義絶した
追放
松蔭は帰国したが、長州も母も兄も一切怒らない
おまえは志はどうやら遠大らしい、小さな過ちを犯したが、将来を志のために使えと
あの玉木先生さえ、寅次郎は士である、自分自身が批判しきっていると
夏が過ぎ、秋も過ぎたが、なお沙汰がない
判決は突如十二月八日下った
士籍を削り、五十七石六斗の家禄を没収し、召し放ちに処す
追放罪であった、士籍のない浪人になる
天涯への旅
松蔭に山鹿流兵学師範で、師範が罪を得れば、山鹿流は停止になる
藩庁は明倫館に停止の指示をした
山鹿流を学んでいる連中が、おそれながらと、嘆願書を出した
嘆願の筋もっともであると許された
松蔭は浪人になる、元侍である、が実父杉百合之助のはぐくみとする、と救済している
はぐくみとは、公式の居候、厄介者、被保護者である
萩城下で使い走りのボーイのようなことをしていた伊藤博文も長州藩士の名目を与えようと、来原良蔵はぐくみ、となった
だから浪人ではない
別に申し聞かすことがある、今一度かしこまれ、お殿様にご内意である
向こう十年の修行に出させたい、と父から上呈せよ
百合之助と玉木先生は徹夜で願書を書いた
御家は技芸学問を大切になさっている、わかったか、こわい顔で睨みすえた、どうだ、え?
文之進は松蔭が受けた処分が我が事のように嬉しい
人間、若い頃には藩庁の束縛から脱して天地に羽を広げ足を伸ばすことが必要だ
松蔭が遊歴に旅立ったのは嘉永六年正月二十六日である
この五カ月後にペリーが来航する
一の三 春半ばなり
河内の国から大和に入る
竹ノ内の旅籠に泊まる、夕食の膳が運ばれ、小女に聞く
五条には森田節斎先生がいる、知っているか
存じております、小女は絣の袖を唇に当てうつむいた
笑いが止まったかね
節斎は四十二である
森田のケンポンと呼ばれ、不器用で無頓着、いつも前がはだけ、下駄と草履を片足づつ履くのはしょっちゅうで、家がない、四十過ぎて独身
が、松蔭が訪ねた翌年結婚している
節斎は船場の藤沢東がいを訪ねた
貴公の家に学婢がいるというが本当か、齢二十七、身寄りはない
号を無弦という、たいそうな醜女である
それを妻として貰い受けたい
しかし、東がいは言う
類を絶した醜女で縁談になるまい
節斎は、かまわないと
あれを女房にするなら、わしは往来で貴公に三度叩頭するとまで言った
そうてみるとやはり女である
どぶろくも、酒と思えば酒の味
翌朝、雨である
松蔭は竹ノ内を下り長尾、南今市を経て五条を目指しながら節斎のことを思った
節斎先生のことを思うと涙が出てきて仕方ない、南部盛岡の江帾五郎である
蓑のなかで心を弾ませている
堤家に節斎がいた
長州萩 吉田寅次郎の名刺を渡すと、節斎が出てきた
笊の尻のような顔をした四十男で、奇声のような甲高い声を上げ、長州からわざわざ来たのか
金剛山
これはしたか、と妙な形の拳を突き出した
まだ、存じませぬ
そうだろう、まだ少年だ
俺もな、それを断っておる
ある時、節斎の保護者が、先生も煩悩はおありですか、と尋ねた
他人の十倍あるわい、と答えた
節斎が古今の英雄豪傑を談じ時勢を慨嘆し議論が日本の危機問題に及ぶと体中が戦慄した
この若者は鳴りの激しい琴を体に持つ、節斎の魔力的な音律が共鳴したちまち戦慄し合う
是非、入門させてくだいませぬか
よかろう
その晩二人は朝まで語り明かし、鶏の声を聞くとそのまま横になった
松蔭は内臓が溶けるような眠りに落ちた
二時間ほどすると、
起きろ、寅次郎、今から富田林に遊びに行こう
山色を眺めながら文章を語るというほど楽しいものはない
奈良五条の町のそばに金剛山がそびえている
どうだ、松蔭、詩文の徒になれ、君に兵学の才能などない
象山
松蔭は大和を発ち伊勢へ向かった、すでに初夏である
象山書院、彼が江戸で開いた町道場で、神田お玉ヶ池にある
千葉周作が北辰一刀流の道場を開き、周作の飲み友達の東条一堂が学塾を開いた
私学が多くできた、神田一円は明治後も法律関係の私立学校が、やがて私学大学になり本屋の町として賑わっている
この数日後、ペリー来航が降ってわくのだが、知る由も無い
ペリーはおそらく、土佐の沖合いを航行していたであろう
浦賀へ
松蔭の行動はギクシャクしている
真っ先に鎌倉へ行かねばならぬ
そこに肉親がいる、母方の叔父で、禅僧竹院である、国を出る時、お滝から、伯父さんにきび粉を持って行っておくれと預かっていた
長州から大和、大坂、伊勢、木曽街道、中山道から江戸まで背負ってきた
竹院が萩に帰ったとき、妹のお滝に、長州のきびだんごは子供の頃の味がするなあ、とつい言ったためお滝が寅次郎に持たせた
どうだ浪人の味は
今は良かったと思います
山鹿流が嫌になってきたのです
山鹿流では洋夷を防ぐことができません
飛躍するのか
したいと思います
そのため放逐されたことは天の配剤であったというのだな
いかにも
上人、いっそ
どうした、何をしたいのだ、言え
この上は、国禁を破り外国へ渡るしかないのではないか、松蔭は鬱懐し話さない
しばらく遊んでいけ
鎌倉には名勝、史跡が多い
頼朝墓、島津忠久墓、荏柄天神、補陀落寺、由比ヶ浜、大仏、袖ヶ浦、江ノ島である
江ノ島の旅籠で飯を食ったが、焼き魚がついてた
松蔭は手をつけない
竹院の弟子が、私は僧の身ですから肉食はいたしませんが、あなたはなぜ食せられませぬ
今日は先君の命日ですから
弟子が竹院にこのことを言うと
物事の大事というのは、ああ言う男でないとできないものだ、声をひそめて言った
六月一日、鎌倉を発ち江戸に帰り、桶町河岸の鳥山新三郎の塾に戻った
三日、佐久間象山を訪ねた
この日の午後二時、ペリー艦隊が浦賀に来たのだが、象山も知らない
翌日も江戸をほっつき歩いている
右肩が異様に上がり、やや前かがみでせかせか歩く
藩邸に行くと、吉田、何を呑気に歩いている、みな藩命で浦賀へ行ったよ
浦賀で何があるのかね
こいつ何も知らないな
昨日の昼だ、アメリカの黒船四艘が大砲に砲弾を詰め、照準を江戸に向けつつ湾内に進入した
松蔭は驚きと緊張の余り真っ青になって詰め寄った
詳しいことは?
わからんわからん、わかっているのはそれだけだ
木挽町の象山塾に駆け込むと人気がない、先生はどこへゆかれた
浦賀へゆかれました
わしもゆく
ご自由に
松蔭は鉄砲洲まで走った
やっと小舟を雇ったが、なかなか舟を出さない
旦那、無理だよ、風がない
翌朝四時やっと風が出て舟は動き出すが、微風で昼前に品川海岸である
松蔭は陸路をゆくことにして懸命な駈けた
浦賀
松蔭はこけつまろびつ品川から浦賀に駈けた
心はなはだ急ぎ飛ぶが如く飛ぶが如く
保土ヶ谷から左折すると、草鞋の紐が二つ切れた
裸足で走った
この時、背後から声が聞こえた
飛脚さん飛脚さん
振り返ると色が黒い、しかし切れ長の目で器量は悪くない
女が走るのを初めて見た
私は相模国の庄屋の娘です
江戸まで避難するのにうっかり母の御守りを持ってきてしまいました
富浦まで返してください
お安い御用です
娘は松蔭の袂を取った、馴れ馴れしかった
これを差し上げます、予備の草鞋を履かせた
相模女の良さだ
磯子の野島崎から舟に乗る
隣の武士が草鞋に付いた紅緒を見て、昨夜はお安くなかったようでごさるな
浦賀に着いた
部屋に上がると廊下まであふれている
象山を探すと、一人で一部屋占拠していた
先生はいつ
昨夜だ
黒船はどのような
実に大きい
敵の意図は
江戸を侵略するにある
翌日、一隻が、内海に突進した
素破、素破、すわ!
三度叫び、防戦準備のため帰府した
その日、松蔭は平根山に登った
象山から借りた望遠鏡で洋上を見ると、黒船が一線上に浮かんでいる
二隻は大、二隻は小
大は四十間、砲二十門、小は二十五間、砲二十六門
突如、船体から白煙が上がった、とみるまに遠雷のような轟が湾内に響き山々にこだました
松蔭は膝頭が慄え懸命に歯をくいしばり慄えに堪えた
西洋の巨大な文明に松蔭の小さな文明が砕かれた
過激者
松蔭は過激者である
平素人に逆らわない、人の悪を察する能力なく善のみを見る、と言いながら、狂悖をもって家を覆し、身をやぶり
ペリーは九日の会談で、通商を迫るが、即答は求めておらぬ、来春四、五月に来る、その時は明快なる返答を貰いたい
松蔭の行動にバネを入れたのはペリーであり、産業革命による新文明である
松蔭は夜をこめて歩く、長州藩邸に知らせねば、不眠不休で歩き、あくる日正午に江戸桜田の長州藩邸に入った
寅次郎、病気ではないか?
顔色の青さと尖った肩で息をしている
若い連中が集まる、松蔭は目撃談を詳しく話す
その中に、見るからに軽捷そうな若者が、激しく頷いた、桂小五郎、後の木戸孝允である
後に、松蔭は兄に、無学ではありますが、桂小五郎はただ一人の卓見の士です、と書き送っている
藩公に意見書をたてまつるつもりです、縁側で若い妾に爪を切らせていた佐久間象山に打ち明けた
君は浪人ではないか
死をも覚悟しております
やるか
将及私言、という題をつけた
ペリーは来春に幕府の答書を受け取りに来る、答書が要求に合わねば、必ずや一戦に及ぶ、日本の存亡を賭けた戦いが起こる
この書は段階を経て藩主毛利慶親に達せしめている
一の四 長崎へ
松蔭はなおも歩こうとしている
毎日、象山の元へ行き、どうすべきでしょうと
半分は蘭語、半分は経学を勉強せよ
もっと論語を読め、孔子の語録である
経書を読まねば実践方法がわからぬと仰せられますが、左様でありましょうか
寅次郎、挑戦するのか
人間、生を肯定するところに世のいっさいがあります
寅次郎はすでに生を捨てております
生を捨てれば視界は雲なく霧なく極めて澄み渡り世の現象がいかにもくっきりと見え自分が何をなすべきかの道も白道一筋、坦々として眼前にあります
象山は沈黙してしまった、松蔭の言うとおりだ
風聞がとどいた
ロシアの艦隊が長崎に入ったと言うのである
ロシアへ行こう、松蔭は決意した
象山に相談した
行くべし、と言った
岸頭
松蔭は江戸を去った
象山はかたく秘している
お蝶、存じておるのか、膳に向かいながら険しい顔をした
妾のお蝶が給仕をしながら口を滑らせた、松蔭の出国がうまく行くように、稲荷に日詣りしていると言う
なぜ寅次郎の一件を知った
が、松蔭が一件を打ち明けたとき、お蝶もその場にいた
お蝶だけでなくいまふたりの妾のお雪とおますもいた
そうであったか、この男は錯覚を認めた
象山には本妻がなく妾が常に二、三人いる、体格が日本人ばなれし精気がことさら強かったのが理由であろう
久里浜にペリーが上陸した時、居並ぶ幕臣の中に象山もいた、ペリーは将軍代理にも頭を下げなかったが、象山には会釈したと言う
去年まではお菊という妾がいた
象山は美人好みで、花の頃、向島花見に行き美人を見た
三十二相ととのってる、着物や化粧も粋である
若党に後をつけさせた
蔵前の豪商の娘で蔵前小町と言われる
象山はしつこく交渉した
ついに久兵衛は手放した
お菊は産んだ後、幕府の奥医師に嫁いだ
松蔭は長崎に向かっている
大阪からは海路を取った
十月十九日熊本城下に入った
宮部鼎蔵と会う
いつまでいるか
ロシア軍艦の都合次第だ
もう一度言ってくれ
が、欧州天地ではクリミア戦争が始まり、ロシア軍艦は去っていた
