今日の昼休み、現場の休憩所でPCを開き、今回撮影してきた原爆ドームの写真を仲間に見てもらいました。
行ったことがある人もいましたが、やはり映像だと伝わらないものですね
現地を知っている人は、やはり私と同じような感想でした。
やはりその場所でしか感じられないものってあるんですね。
そんなわけで翌1月3日、朝は遅めに動き出します。
でも、正月なのにホテルにはバスツアーの観光客が多くてビックリ
ホテルの目の前は市電の通る道。
とりあえずてくてくと歩いていると・・・

▲どんどんくるよ~
路面電車が通り過ぎていきます。
ふと目に付いた立派な建物

▲旧日本銀行広島支店
この建物も被爆建物だそうで、この中で42名の方が亡くなったそうです。
崩壊せずに残ったため、8月8日には営業を再開したって、すごいですね。
やっぱりもう一度原爆ドームを見に行こう
ってことで、とある裏路地を歩いていたら・・・

▲こんな裏道ですが・・・
「島外科・内科」という病院の脇に、何か標柱がありますよ

▲ここが「爆心地」
1945年8月6日午前8時15分、この場所の上空580mの位置で原子爆弾が炸裂した・・・・
現在の姿からは想像できません。

▲ここだけ時が止まっている・・・
原爆ドームの周囲には、崩れ落ちたコンクリートやレンガなどがそのまま残されています。
再び「相生橋」を渡り「平和公園」へ。

▲ほぼ真上から力が掛かったため、床は落ちてしまったけど壁は残ったらしい
渡ってきた「相生橋」は珍しいT字形の橋で、上空からでもよく確認できることから「投下目標」になったそうです。

▲当時としては立派な建物だったことでしょうね
平和公園内には、そこかしこにいろんな「慰霊碑」があり実に多くの方々が犠牲になられたことを実感します。
そして「原爆資料館」を見学。
様々な資料が展示されていますが、やはり目を引いたのは「被爆された方が着けていた衣類や持ち物」。
しかも、その多くが「非戦闘員」であるはずの中学生以下の子供のものなんですね。
人間が人間に対して、これほどまでに残酷なことができるものなのか・・・・
ある程度「心の準備」をして見学したのですが、最後まで直視するのは辛いものです

▲絶えず人が訪れている
資料館の裏手に「添え木」で支えられた2本の木があります。

▲「アオギリ」っていう木だそうです
爆心地から1300mの地点で被爆した「アオギリの木」。

▲内側が焼けて「炭化」してる
爆心地に向いた方は熱線と爆風でえぐられてしまったけど、その傷跡を包み込むように成長し続けている木。
となりには若木も生えていました。
自然の生命力に驚くと同時に、原爆による壊滅的被害から立ち直ったヒロシマの強さ。

▲こんな悲劇の場所を、二度とつくりませんように
状況は全く違うけど、「壊滅した街を復興させる」という点で見れば「震災被災地」にも通ずるものがありますね。
ヒロシマがこんなに復興したんだもの、東北だって絶対に復興できる
そんな思いを強く感じたのでした。
最後にもう一度「原爆ドーム」を眺めて、さていよいよ旅を再開しましょうか
行ったことがある人もいましたが、やはり映像だと伝わらないものですね

現地を知っている人は、やはり私と同じような感想でした。
やはりその場所でしか感じられないものってあるんですね。
そんなわけで翌1月3日、朝は遅めに動き出します。
でも、正月なのにホテルにはバスツアーの観光客が多くてビックリ

ホテルの目の前は市電の通る道。
とりあえずてくてくと歩いていると・・・

▲どんどんくるよ~
路面電車が通り過ぎていきます。
ふと目に付いた立派な建物


▲旧日本銀行広島支店
この建物も被爆建物だそうで、この中で42名の方が亡くなったそうです。
崩壊せずに残ったため、8月8日には営業を再開したって、すごいですね。
やっぱりもう一度原爆ドームを見に行こう

ってことで、とある裏路地を歩いていたら・・・

▲こんな裏道ですが・・・
「島外科・内科」という病院の脇に、何か標柱がありますよ


▲ここが「爆心地」

1945年8月6日午前8時15分、この場所の上空580mの位置で原子爆弾が炸裂した・・・・
現在の姿からは想像できません。

▲ここだけ時が止まっている・・・
原爆ドームの周囲には、崩れ落ちたコンクリートやレンガなどがそのまま残されています。
再び「相生橋」を渡り「平和公園」へ。

▲ほぼ真上から力が掛かったため、床は落ちてしまったけど壁は残ったらしい
渡ってきた「相生橋」は珍しいT字形の橋で、上空からでもよく確認できることから「投下目標」になったそうです。

▲当時としては立派な建物だったことでしょうね
平和公園内には、そこかしこにいろんな「慰霊碑」があり実に多くの方々が犠牲になられたことを実感します。
そして「原爆資料館」を見学。
様々な資料が展示されていますが、やはり目を引いたのは「被爆された方が着けていた衣類や持ち物」。
しかも、その多くが「非戦闘員」であるはずの中学生以下の子供のものなんですね。
人間が人間に対して、これほどまでに残酷なことができるものなのか・・・・
ある程度「心の準備」をして見学したのですが、最後まで直視するのは辛いものです


▲絶えず人が訪れている
資料館の裏手に「添え木」で支えられた2本の木があります。

▲「アオギリ」っていう木だそうです
爆心地から1300mの地点で被爆した「アオギリの木」。

▲内側が焼けて「炭化」してる
爆心地に向いた方は熱線と爆風でえぐられてしまったけど、その傷跡を包み込むように成長し続けている木。
となりには若木も生えていました。
自然の生命力に驚くと同時に、原爆による壊滅的被害から立ち直ったヒロシマの強さ。

▲こんな悲劇の場所を、二度とつくりませんように
状況は全く違うけど、「壊滅した街を復興させる」という点で見れば「震災被災地」にも通ずるものがありますね。
ヒロシマがこんなに復興したんだもの、東北だって絶対に復興できる

そんな思いを強く感じたのでした。
最後にもう一度「原爆ドーム」を眺めて、さていよいよ旅を再開しましょうか
