美顔、美スタイル、そして美つながりでアートまで(*^^*)りんごろのブログ

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美は生きる希望、心の安らぎです!
美味しいものも大好き!
とにかく美にこだわり続けてきた40数年の軌道です(笑)

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嘘の中に「多少の本当」を入れて自分の言うことを信じ込ます人もいる。

身体的特徴など「誰でもわかりやすい」がだからといって、そうとも限らない。

むしろ、逆に「悪用されやすい」

 

だから「身体的特徴の弱みを言わない人もいる」

そういう人間もいると知ってだ。

身体が弱い、身体的特徴があるなどは、「悪用されやすく攻撃されやすい」部分もあるし逆に「それを逆手にとって同情を引く」人もいる。

どちらにも偏らずに「それより、その人の人間性」を見ればわかるのだ。

「良心にかけてないか?道徳性はあるか?法や社会的規律を守っているか?」

 

身体的に何かしらみんな齢とともに悪くなっていく人もいる

障がい者の殆どが後天的だったり、あるいは途中で軽快したり、したりしているのだ

正しいデータを知るべきと医療関係の家に育った私は思う

 

健常者だって「人間性悪ければ、そちらの方が恐ろしい」のだ

 

 

美人だって「本当に性格が悪い」のと「僻みやふとした誤解から言われる方もいる」「憧れと悪口は同居したりする」なので「羨望の悪口は気にしない事」と思うが、、、

田舎は噂が恐ろしい

そもそも「性格悪い?」って、道徳心とか法律を守らない、を除けば「性格の不一致」と思う

 

「障がい者に優しいから優しい」とは、ある種、「正しいデータを知らず偏見にまみれた中で身につけた価値観」とう思う

「障がい者は攻撃されることもある(余程の正しい知識のない地域だ)」事から、そう言われるのだとも推測されるが、、、

 

それより健常者、障がい者に関わらず「人間性悪いことの方が恐ろしい」

 

田舎の県外にいるときに「誰の言うことを信じればいいか?田舎は噂が横行する」と困窮したことがあった。

「法律を守っているか?」「集団の中で、癒着とかでなく、規律を守り、皆の心情を思いやっているか?」「最初は当たり障りなく付き合う」「噂ずぎでないか?」で大分、乗り切った。

 

「尾鰭のつけた噂の好きな人」というのは「あまり信用できない」

「信ぴょう性のないことを口にする人」だからだ

 

「投票で選ばれた、とか。

その道の専門家で信頼できる方が言われた」ので無いと信ぴょう性は薄い」

むしろ「専門家でも無いのに言い切る人は信用できない」と思う

「自分の言うことに責任を持ちきれもしない」のに、と思う

 

「信頼」というのは「長い付き合いの中で培われるもの」なのだ

もしくは「そういった経験」のある人からは「判断ができる」のだ

 

ただ、それも「誤解を避けるためには言わなくてはいけない時もあるが、、、」

全てを言っても「理解できずに誤解して、人間性が悪いと逆に攻撃されたりするのだ」

「全てを言わなくてはいけない筋合いの人間か?」も考えることだ

 

「全てをさらけ出す」なんて「攻撃されることが絶えない」はずなのだ