今日は父の誕生日
父へ誕生日プレゼントを渡すことはもうできない。
1ヶ月前に父は他界した。


父の闘いを忘れないために書き残しておきます。

8月3日 余命宣告
余命1ヶ月、1〜2週間が厳しい状態になるだろう・・・。
気管が塞がってしまうと、窒息するのでいつどうなるかわからない状態だということ。
父は我慢強い人で、決して、『辛い』『痛い』『嫌だ』など、絶対に言わない。

8月4日日 モルヒネ24時間投与
決して弱音を吐かない父。
表情は苦しみに耐えきれない様子。
主治医が相当な痛みをこれまでにも感じていたはずと言われる。
痛みを和らぐため、24時間モルヒネ投与が始まる。少し楽になった様子。
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電話で母から容態を聞くが、父の様子を自分の目で見ないとわからないので、土日、月曜を有給とって帰ることに。

8月5日  病院へ到着(わたし)
長崎空港から直接、父が入院している島原の病院に向かう。
食欲がないと聞いていたので、ゼリーの詰め合わせを可愛くラッピングしてもらった。
父は可愛いものが好きなので笑。
13時過ぎ、病室へ到着。個室に入院していた。
入り口に背を向けた状態で、横向けになっていた父。入り口からは顔が見れない。顔を見に回るも父は寝ているのか、目を瞑っているだけなのか。
母が、しろが来たよ。と声をかけると、父は起きた。
父の顔を見た瞬間、涙が溢れてきた。
(父には余命宣告は言わない選択をした。)
父の顔から、1〜2週間よりもっともっと厳しい状態であることをわたしは悟る。
父の手を強く握って、『お父さんに会いにきたよ』と伝える。父は喜んでいた。
父に、可愛くラッピングしてもらったゼリーを見せると、とても喜んで嬉しそうだった。
入院してから気管が細いため、流動食になっていたがほとんど食べない状況。
この日も何も口に入れていない。
父に食べる?聞くが、『よかー』(いらないという意味)と言う。
父にカメラを向けて、スマイルー!と言うと、
グッタリ虚ろの状態だった父が、笑顔で答えてれた。
そして、寝る。

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8月5日 15時20分
父が起きて、カメラを向けて私がピース!と言うと、父はピースしてくれた。
そしてピースで2ショット写真。
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そして父、寝る。
寝て起きての繰り返し。
全く食べないので、せめて水でもと思っても。
『いらない』と。
『水を口に含む?』と聞くと。
『うん』と言って、水を飲んでくれた。
しばらくして父は、寝てしまった。


8月5日18時15分
ご飯が出される。
『ご飯食べる?』『うん』
少しだけ食べようと、看護師さんたちが体勢を変えようとする。しかし、父は力もなく動けない、グッタリしている。
今はやめときましょうと、体勢を本人が楽な横向けに戻している。
父の呼吸の仕方が変わる・・・。
そして、顔が違う・・・。
あっ・・・。

看護師さんに、
『父の呼吸の仕方違いますよね?』
『そうですね』
いっきに父の顔が苦しみの顔にかわり、意識がない。呼吸がおかしい・・・。

8月5日 18時27分
上向けで、気道確保され、酸素マスクが変えられられる。
生体情報モニタ(ベッドサイドモニタ)
が設置される。
とにかく苦しそう・・・。
意識がない・・・。

そして、
『他に家族はいますか?』
『兄がいます』
『呼ばれた方がいいです』
そこから、ずっと声をかける。父は頑張ってこの世に残るために必死に呼吸をしているようだった。
父が会いたがっていた兄弟も全員来てくれて、病院で仮眠取りながら交代で父を見てたが、私は父の側で声を掛け続けた。全く眠くなかったし父の姿を目に焼き付けたかった。

8月6日
もう朝になっていた。
台風直撃の予定だったので、母と兄は家の雨戸を閉めに家に帰ることになった。
意識がなくなってから父の目は閉じない。
6時20分ごろ、目がしっかり開き、微笑んでいるように見えた。
ちゃんと意識がある!意識があるのはこれが最期になるかもしれないと思い母たちを病院に呼び戻す。
お父さんの娘で良かったよ。
お父さんありがとう。
いっぱい感謝の言葉を言い続けた。
そして父の目から涙が出てきた。
目を開けたのがどれくらいの時間あったかは覚えていないけど、ほんの少しの時間だったけど長い時間にも感じた。

父は俺は大丈夫だよ!と言ってるかのように手を上にあげた。無意識?意識がある?

8月6日 15時
5日から病院に泊まっていたので、母の着替えを兄と一緒に買いに出掛ける。
母から電話があり、早く戻ってきて!と慌てた様子。急いで病院に戻る。
モルヒネの量が足りなく、痛さに耐えられず手足をバタバタしてたという。
そのとき病室に母は1人で、顔が崩れるぐらい苦しい顔で、物凄い力で手足をバタつかせたという。
モルヒネの投与量が増えた。
ここからは、その時を待つだけだという現実。

時間が経過していくと血圧、酸素がはかれなくなった。脈拍だけが父の状態を知る唯一のたより。


8月7日
また日付が変わった。
付き添っている母、叔母、叔父たちの顔は疲れ切っていた。
私にできることは、父に声をかけること。
お父さん、苦しくない?
お父さん、台風きてるから風が強いよ。
もう父の声は聞けない?と思うとまた涙がでてくる。
気が付けば夜中2時過ぎてた。
病室には私と叔母の2人、待合室のソファーで母と叔母の2人が仮眠中、他4人は自分たちの車で仮眠中。
静かな時間だった。
私はトイレに行き病室に戻っている途中、母が看護師さんに先生呼んでくださいと慌てる様子が目に入る。
私は走って父のところに戻る。

顔色が変…
顔の色がどんどん変わっていく…
脈がなくなってく…

部屋中にベッドモニターの脈拍0を知らせる
ピーッという音が鳴り響く。

8月7日 2時32分
死亡確定。
父がこの世からいなくなった…
苦しむことなくスーッと一呼吸して眠るように亡くなった。

看護師さんたちが泣きながら父をキレイに整えてくれていた。
父の死を涙してくれる看護師さんたちに感謝でいっぱい。

父を連れて帰るため霊柩車が病室に到着した。
最後まで主治医と看護師さんたちが見送ってくれた。主治医は学会で出張していたが、私が病院に来ることを知って病院に戻って父の現状を説明してくれた。主治医も5日から寝泊まりして夜中でも父の様子を見にきてくれてたとてもいい先生で感謝しかなかった。

この日は台風直撃だったはずだけど、台風はそれ雨すら降らなかった。父と共に家に帰ってる最中
キレイな満月が出ていた。
まるで父を照らしてるようだった。
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父は人生を生き抜いたのだ。

お父さんありがとう。