自分をよく知る方法(内観の仕方)事例検討


今回は自分をよく知る方法について。

内観の仕方。


内観とは仏教用語と心理学用語があるが、

心理学用語での意味は

自分の意識やその状態をみずから観察すること。


今日私はちょうど内観して気づきを沢山得た。

そこで内観のやり方に興味がある方や

私のような事例で悩んでいる方に向けて

自分自身の事例を検討してそれを自己開示した内容をお伝えすることとした。


何か皆さんの気づきとなったり、

人生を楽に生きるヒントになれたら幸いです。



A.自分自身を内観する方法


自分を内観するやり方。

普段生活している中で、

何か心に引っかかったことや

モヤモヤしたことがあれば

その物事を取り上げる。


またこれは感覚的なものだが参考に。

感情はサインであり、

心地よい感情は合っているというサイン。

逆に何か不快な感情は、

どこか自分の捉え方や価値観が間違っているという

サインであることが多い。



B.私自身を内観する


まず今日内観した内容について。

私の日頃の人間関係のパターンを見つめ直した。


私は人生で繰り返している人間関係のパターンが

いくつか存在する。

それらは私が人間関係で苦しくなりがちなのに繰り返してしまっているパターンだ。


今日はそれらについて内観した。



私の中のパターン


パターン1.自分を相手より下に置くパターン

     (パワハラ、モラハラに遭いやすい)


私は何度会社を転職しても行く先々でパワハラに遭っていた。さすがに自分自身にも何かあるとは感じていたが、その何かに気づけずにいたが今日内観して気づきがあった。


私は幼少期の家庭環境で親に支配されるような環境で育った。私はいい子でなければ愛されなかった。

要するに条件付きの愛だったのだ。

ありのままの自分では愛されなかった。

だから常に私は親の機嫌を伺って親の期待することを読み取り先回りして叶えることで褒めてもらい愛してもらおうとした。

そして母親は自己肯定感の低い人で、子供を使って自分の自己肯定感を上げて満たそうとする人だった。

だから母親にとって私は理想の娘でなければならず、

私は期待に応えようと生きてきた。母親の愚痴の聞き役をしたり幼い兄弟の面倒を見てわがままを言わないようにいい子でいようと生きてきた。


それは今思うと親にコントロールされている関係。

その親子関係のパターンで親に支配される関係と同じ関係性を無意識に結ぼうとしていた。

何故ならそれが幼少の頃からの自分の人間関係の原形であり、居心地の悪さを感じつつもどこかで安心もしていたからだ。


だから私は今までの人間関係で対等な関係を築くのが難しかったのだ。


しかもここで特記すべきなのは、私は同時に無意識に下からのコントロールを相手にしていたことだ。

どういうことかというと、私は自分が本当に悪いと思ってなくても謝ることで相手に罪悪感を感じさせていた。そうすることで自分を優位に立たせ相手をコントロールしようと無意識に思っていたのだ。



パターン2.自己犠牲して相手に尽くすパターン


私はいつも自分よりも他人を優先して自己犠牲して

相手に尽くそうとしてしまう。

これはやはり親子関係で親と子の関係が逆転していたこと。母の情緒的な面倒を私がみなければならなかったこと。幼い自分の本当の感情を感じないようにして自己犠牲してでも、親や兄弟の面倒をみなければ生きていけなかったこと。

それが起因しているだろう。


このパターンの問題点は自己犠牲して相手に与えれば与えるほど、相手からは大切にされなくなるということだ。


それは相手からは私が自己犠牲して与え続けていることはもはや当たり前のこととなり、感謝されるどころか体調を崩したりしてそれができなくなったら「何でできないんだ」と責められることになるのだ。


だから今私は思う。

自分を大切にできなければ他人からも大切にしてもらえることはない。自分を第一に考えても良いんだ。

自分を大切にして他人を大切にできる人になろうと思う。



パターン3.他人に対して怒りを感じられない

     NOと言えない


私は他人に対して怒りを感じられない。

それは幼少期からの家庭環境で、母親自身も怒りを表現するのを母自身に禁止していたし父は理性的な人で感情的に怒ることはなく怒る人をどこか軽蔑しているように感じていたから。


私は他人に対して怒りの感情を持ってはいけないと学んでしまったのだ。


そして物心ついた時から私はずっと全部自分が悪いと考えてきた。

他人に向けられない怒りを全部自分に向けるしかなかった。


でも苦しい。

全部自分が悪いと自分を責めて

そしてボロボロになった自分を癒してまた生きて。

そして自分に怒りを向け続けるとどうなるか。

うつ状態や心の病気になりやすい。

だからそんな苦しいパターンはもう卒業していこう。


まず怒りは自然な感情であって怒りを感じてもいいんだ。喜怒哀楽があるのが普通なんだ。

怒ってもいいんだよ。


もう他人を怒れないパターンから抜けていい。

気づいて自分に言い聞かせていく中で、

自分を少しずつ変えていくことができるようになる。



パターン4.他人からの褒め言葉を受け取れない、

     自己評価が低い、自己肯定感が低い


私は自己評価、自己肯定感がとても低い。

そして他人からいくら褒めてもらっても、その場では「ありがとう。」とは言うものの受け取れていない。


そして例えば9割の人が自分を褒めてくれて1割の人に批判されたら、私は1割の批判にばかり目が向いてしまう。これは私の歪んだ認知。


褒め言葉を受け取る。

その方法は何回も褒め言葉を頭で咀嚼して

ちゃんと心に落とし込むこと。

褒め言葉をちゃんと受け取れると自己肯定感も上がっていく。


C.これらのパターンの

   根っこにあるもの


私の根っこにあるもの。

私の心の奥深くにあるもの。


それは自己無価値感。


私はどこか相手に対して


「こんな私と付き合ってもらってごめんなさい。

 こんな私のために時間を作ってもらって

 ごめんなさい。」


そんな気持ちがあった。


どうして?

ずーーっと奥深く。

私の中を潜っていくと。


私は「生まれてきてごめんなさい。」という思いを

持っていた。

私は生まれてきたことに罪悪感を感じていたのである。


どうしてか。

両親が仲が良くなかったから。

私は幼い頃から母の愚痴を聞いていたけれど、

私が生まれてすぐの頃父が浮気したと言っていた。

母は

「私を父なし子にしたくないから離婚しなかった」と

言った。

私はそれを聞いて思った。


(じゃあ私が生まれてこなければ

 お母さんは幸せだったのに。)


だから

私の中には「生まれてきてごめんなさい。」と

いう気持ちがある。

生まれてきたことに対する罪悪感がある。

ありのままで生きていて良いという感覚がない。

持てない。


そして生まれてきてしまったからには

役に立つ私にならなければ。

お母さんや家族の役に立たなきゃ。

誰かの役に立たなきゃ。


役に立たない私は生きている価値がないから。


内観してここまで辿り着いた時、

私はやはり泣いてしまった。


でも泣くことができて安心した。

涙を流すと癒しが起きるから。


内観して大事なことは

奥深くの感情をしっかり感じること。


そして私の場合ちゃんと感じるということは

ちゃんと泣いたり、時には泣き喚いたりすること。


その時はつらいけれど、

ずっと向き合わないままでいるのも

ずっと燻っているからつらい。


そしてちゃんと泣いて感じ切ると、

スッキリする。


そうすると視界が開ける感じがする。


もちろん長年のパターンだから

すぐには変えられないことも多い。


でも自分の躓きの理由に気づけたらラッキー。

気づくだけで

「あ、また自分は同じことしてる。

 気をつけよう。」

って客観視できるようになるからね

自分にゆとりができてくる。

ゆとりができてくるとだんだんそのパターンは少なくなり、そのうち自然と消えていくんだ。


人は一生学びながら

一生成長し続けていくものだと思う。

だから、失敗しながらでも前を向いて

自分を成長させながら歩いていけばいい。


人間は誰も完璧な人などいなくて。

今回のように私にもカッコ悪く、醜いと自分では思う所も沢山ある。


でもどんな自分も自分なんだから仕方ない。

それはそれでいいんじゃないかなと

やっと最近になり思えるようになった。


完璧な自分でなければいけないと思い過ぎて

苦しかった自分だけれど、

やれることを毎日コツコツ頑張っていたらいいかなと思えるようになった。

ありのままの自分でもいいかなと思えるようになってきた。

 


D.終わりに


自分と向き合うのは結構大変なこと。

だって見たくない自分と向き合わないとならない時もあるから。でも人と良い関係性を作っていくためには自分を内観して深く深く自分と向き合うことが必要だと私は思っている。

だから今後も真摯に自分と向き合っていきたい。


今回私の自己開示した気づきが

苦しんでいるみなさんの何らかの気づきになったり

人生を楽に生きるヒントになれたら嬉しいです。


読んでくださりありがとうございました。



終わり🔚