しばらくブログをサボっていました。ごめんなさい。
この前は、「助成」・「配分」という「白いリボン運動」から考えるとアウトプットに当たることばをかんがえてみた。今回は、インプットに当たる「寄附」ということばについて考えてみたい。
こちらも、よくこれまでの記録などを見てみると「寄附」ということばを使ってみたり、「募金」ということばを使ったりで、しっかり使い分けられていないことが多い。
「寄附」を辞書で引くと、「金品を贈ること。特に、公共の団体や社寺などに金品などを贈ること。」と出てくる。その類似語には、寄進 寄贈 献上 奉納 献納 喜捨 出捐(しゅつえん) 義捐 棄捐 施し 献金 義金 義捐金 奉納などなどがある。
「募金」は、「寄付金などをつのって集めること。」となっている。
つまり、出し手がお金をだすことを「寄附」と呼び、また受け手が「寄附」金をつのることを「募金」と呼ぶということで、今後はその立場に注意をして使い分けていきたい。それはそれで済むことなのだが、よく考えなければならないことは、「寄附」の類似語である。そこには、上位者へお金を出しそのことによる直接的な見返りを求めないというニュアンスを含むことばが多いように思う。果たして、「白いリボン運動」でそのようなことでよいのだろうか?
どうも「寄附」にしろ前回書いた「助成」ということばにしろそのことばの持つニュアンスから、募金活動も助成事業も「白いリボン運動」が隠然と上位者に立つように受け取られかねないのではないだろうか?
本来、「白いリボン運動」が目指しているところは、そういうお金の流れを作ることではなく、一般の市民が社会貢献の意思表示をしやすくすることにあったと思う。お金の流れの中で、フラットな立場で関わることと思っている。だが、そのことをことばの上でも仕組みのあり方の上でも築き上げていくことは、とても難しい。ことばだけみると、日本には社会貢献への意思表示というような意味での寄附文化がなかったのだろうか?
とかく「お金」というものを扱うことは、それをめぐっての人間の意識のありようが難しいのである。