今 生あるものは皆 死を授かる


死をむかえるものだけが 今、生をさずかっている




今日、もうガンの末期であるという方に

お会いした。


まだまだ現役バリバリで動いておられる方だが、

四か月で20キロ痩せたという。


病は刻一刻と自分の体をむしばむ。


しかしその方は、周りには自分の本当の

病状を明かしていない。家族のみ知っているのだという。



そのことを伺い、

今、私が この話をお聞きしたことの重大さを

改めて、深く受けとめた。



「お身体は辛くないですか?」


という問いかけに


「ええ、しんどいですよ!でも、毎日とても充実しています!」


とにこやかに話してくださった。




もう時間がない。





そのような現実に直面しているからこそ


●今しなくてはならないこと

●今自分が一番したいこと


この二つに全力で取り組んでいるのだそうだ。

 


あとは阿弥陀様まかせだ

という。

自分の命ある限り、とにかく

全力で、後悔だけは残さぬよう

生きて行くのだそうだ。




死を目前に、それでも明るく生きる


テレビや本なんかではよくある感動物語である。

しかし、今回の出来事は

私にとっては物語でも何でもなく、

知人であり、今目の前にいた人の話。


今、すごく充実していると語られた

表情に、

生命力の強さと、

精神の強さ、

人としての強さが

感じられた。

そしてその強さは


一人の人として生を受けたという

はかなさに

支えられているのではないだろうか



そう感じた。


生きていることほど辛いことはない。

まさに釈尊が説いたとされる四苦八苦である。


①生                生まれ生きる苦しみ

②老                年とっていく苦しみ

③病                病気の苦しみ

④死                死ぬ苦しみ


⑤愛別離苦(あいべつりく)  愛する人と別れてゆかなくてはならない苦しみ

⑥怨憎会苦(おんぞうえく)  怨み憎む人に出会っていかなくてはならない苦しみ

⑦求不得苦(ぐふとくく)    欲しいものが手にはいらない苦しみ

⑧五蘊盛苦(ごうんじょうく)  この身が生きていること、この身を維持していくことの苦しみ



これら八つの苦しみが

生きているものにはあるのだという。

これを悲観的にとらえればそれまでだが

生とは、これら八つの苦しみに支えられ成り立っているのだろう。


生きている限り、誰一人漏らすことなく全員が

この四苦八苦とともに生きている。

乱暴な言い方かもしれないがそれが


「あたりまえ」


なのだ。


私だけが苦しいの?

何で私だけがこんな思いしなきゃなんないの!

みんな笑って

みんな楽しそうで

みんな

みんな

みんな・・・・・




そんなふうに

みんな、苦しさや 陰をもっている


私も口では四苦八苦をよく説いている

でも実際はやっぱ辛かったり情けなかったり


でもそう思うと同時に

やっぱり四苦八苦に生きてるなあ~って痛感。

みんなそうなんだよな~って痛感。


でもだからこそ生きる道が輝く。



今日お会いした

末期ガンのご老人は

四苦八苦の真っただ中を

四苦八苦を自覚しているからこそ

生き生きと生きている。


今日の出会いに


心から感謝したいと思います。













久々にモームスメンバー勢ぞろい!



当時ほとんど興味はなかったけども


やっぱ

あらためて見ると

血が騒ぐ!!


なんだろか

90年代の血が

どくんどくん

騒いじゃってる!!



HEY HEY HEY


なかなか

やりますね!



仏教の戒律では

禁欲

ということがいわれているけれども


裏を返せば


タブーと言わねばならないほどに

人(僧)の感情を揺るがせていたからなのだろう。


男だろうが

女だろうが

社長だろうが

僧侶だろうが

主婦だろうが

・・・・・・・



身分も性別も

関係ない。



未婚も

既婚も

関係ない。


僧も

俗も

関係ない。



理性と本能との戦いがあるならば

本能でしか生きられない私がいる。


自分を欺くならば・・・たまには理性が勝るか・・・な。




愛欲ほど

深い深い欲はないかもしれない。


愛欲ほど

憎らしく、恐ろしく


純粋で、素直で


そんな矛盾をかかえる欲は他には

ないかもしれない。



それゆえ

愛欲こそ


目をそらさずに向き合わねばならない欲


なのではないだろうか。



私は向き合いたい。

目をそらさずに。


女僧侶


思うままに つらつらと。