1200年消えずの火を後に、少し登るとすぐに現れるのが
三鬼堂✨
靴を脱いで上がると、

以下ウィキペディア❤️
主に広島県廿日市市宮島の弥山の三鬼堂と、同島の大聖院内魔尼殿(まにでん)等に祀られる。
三鬼大権現は大小の天狗を眷属に従え、
強大な神通力で衆生を救うとされ、地元では三鬼さんと親しまれている。初代総理大臣の伊藤博文も篤く信仰したといわれる。
- 追帳鬼神(ついちょうきしん):「福徳」の徳を司る鬼神で、大日如来を本地仏とする。
- 時眉鬼神(じびきしん):「知恵」の徳を司る鬼神で、虚空蔵菩薩を本地仏とする。※
- 魔羅鬼神(まらきしん):「降伏」の徳を司る鬼神で、不動明王を本地仏とする。
(※弥山本堂にはその虚空蔵菩薩が本尊として祀られている。)
神仏分離令により元々祀られていた御山神社(みやまじんじゃ)から現在の三鬼堂へ遷された経緯がある。
由来
弘法大師空海が大同元年(806年)に弥山を開基した時、三鬼大権現を勧請し祀ったのが始まりとされる。
以上ウィキペディアより❤️
・・・。ちょっとややこしい。
以下↓整理するために覚え書きです。
なにか間違いがあるかも、あったらごめん。
①まずは空海が806年唐から帰国して、都へ行く途中なのに、宮島のエネルギーに惹かれ、100日間の求聞持法をし、その際に三鬼大権現を弥山につれてきた。(正式には勧請といふ)
②今の御山神社は、平清盛が厳島神社を造営したさいに、奥院として建立した。(宗像三女神が降臨したと伝えられる聖地に)
③しかしいつのまにか
江戸までは、そこで(今の御山神社)
三鬼神も祀られていた、というか名前も三鬼堂だった。
④明治維新の神仏分離令(神道と仏教、神と仏、神社と寺院を区別する)により、
新たに今の三鬼堂ができて、三鬼さん達はそちらへ移り、また宗像三女神が祀られるようになり、御山神社と改称された。
ようは今の御山神社は江戸時代までは三鬼堂だったのですね。
ややこしかぁ 
両方ともミキだから 同じにしたのかね?
三鬼は守り神でもあるし、三姫だし、仲良くしてたのかな・・・。さんさんで、わいわい楽しかったのかも❤️
でも宗像三女神はアマテラスとスサノヲのやりとりから生まれた女神だし、
三鬼さんは空海が海外から連れてきたものだし、まさに神と仏の道
神仏分離令で、儚くも別れ別れになったのですね。
ですが、もとは宗像三女神が降臨したとされる聖地、
せいせいしたのかも!?
ですが、
そこはやはり弥山はいろんなエネルギーがあっても、オッケーなパワフルなワンネス聖地。
上の世界では、テリトリー争いとはきっと無縁ですね。
さてさて 三鬼堂を過ぎ弥山頂上までもう一息です
続く~。



