旅行2日目。
朝早くに広島から島根に移動し、長男次男は束の間の、『海の男』へと。
頑張って、しじみを獲ってくるんだ!!
そして、母のおひとり様時間がスタート!
今日は予めどう過ごすかを決めていました。
①いつも宍道湖の日本海側をドライブするので、今回はその反対ルートで。
②小泉八雲について、もっと知りたい。
この2つをテーマに10時から、お迎えの15:00までを過ごします!
まず、ゴビウスから国道9号方面に下り、宍道湖沿いにドライブ。
ちなみに、今回の旅のお供は、恒例のレンタカー、カローラハイブリッドではありません!
我が家のカイエンクーペです!
(X7は納車が僅かに間に合わず。
また11月の探偵団で活躍してもらう予定です!)
景色を楽しみつつ、前回、『ぐるっと松江堀川巡り』した際に停めた駐車場へ。
徒歩で、塩見縄手通りへ向かいます。
右手にある、『松江歴史館』に寄ってみました。
堀尾忠晴の死後、後継者がおらず、若狭小浜藩から京極忠高が移されました。しかし、忠高の死後、また後継者がおらず、今度は信濃松本潘から松平直政が移されます。以降、松平家が10代続きます。
特に、7代目の松平治郷は、優れた財政改革や茶道でも有名な不昧公として知られています。
ここで面白いと思ったこと。
また歴史館には小泉八雲コーナーもあり、タップすると、映像で彼の作品の一部を楽しむこともできます。
歴史館を出て、お堀に沿って歩きます。
小橋を渡ると、塩見縄手の通りです。
まず、『武家屋敷』に入ります。
武家屋敷を出て、次は『八雲庵』へ。
お蕎麦の老舗だそうで、ここでお昼をとります。
お腹もいっぱいになったところで、次は『小泉八雲旧居』へ。
八雲の旧居を出て、ついに『小泉八雲記念館』へ。
ここは、館内写真がダメだったので、画像はなしです。
この記念館で私が学んだことをまとめます。
①小泉八雲について。
本名 ラフカディオ・ハーン。
作家。ギリシャ系アイルランド人として、ギリシャで生まれる。2才でアイルランドに移り住むが、両親は離婚、大叔母に育てられる。16才で左目を失明。19才でアメリカに渡り、ジャーナリストとなる。『古事記』に感銘を受け、39才で来日。松江に英語教師として赴任し、妻セツと出会う。
1896年に帰化し、小泉八雲となる。日本の伝承に興味を持ち、数々の怪談奇談を採集再話し、作品として発表。また日本文化に関する著書も執筆。
代表作に『知られぬ日本の面影』『怪談』など。
②小泉八雲の執筆活動について。
八雲自身は日本語を読み書きはできなかったが、話すこと聞き取ることには不自由はなかったそう。
子どもの頃から物語が好きだった妻セツが語り部となり、それをハーン(八雲)が再話。
ハーンはセツに、本を読むのではなく、セツ自身の言葉で語ることを求め、気に入った話を何度も何度もせがみ、英語に綴り直したとのこと。
八雲の執筆活動には、セツの優れた語り部としての素質が欠かせなかった。
③教育者としての小泉八雲について。
・best English(最良の英語)であることよりも、best thinking(最良の思索)。
・事実を機械的に覚えるのではなく、事実の所以を理解する。
・教育で一番大事なのは、想像力、すなわち心の創造力。
その他、晩年における妻セツとのやりとりなどを目にし、夫婦の在り方や死生観にも学ぶべきところがたくさんありました。
すごく満足!
帰りに子どもたちへのお土産として!
お迎えの時間もあるので、これで松江を後に。
カイエンでの帰り道、行きに見つけたカフェで少しお茶をしました。
「体験格差」という言葉があります。
私は何事もやってみて無駄なことはないと思っています。それが今すぐ役にたつか、後々役にたつか、もしかしたら、人生の間に役立つ機会がやってこないかもしれない。
それは結果論であって、ただ一つ言えることは、やらなければ絶対に経験にもならないし、そこから得るものもない。
ある程度の知識は必要だと思うけど、闇雲に勉強だけをやればいいのではなく、「知りたい、やってみたい」と思う気持ちが一番大事だと思います。
八雲さんの教育の考え方にすごく共感したし、私自身も「こうしたい、こうありたい、そのためにどうしたらいいか?」という、物事の本質を常に考えなきゃな、と改めて思いました。
今日行ってみて、良かった!
今度、子どもたちも連れて行こう!
(ちなみに小泉八雲記念館の2階は、ちょっとした図書館みたいになっています!)
宍道湖を眺めながら、そんなことを思いつつ、アップルパイを食べました。
明日は帰る日。
また仕事がはじまるなー、と、「まだ遊びたい」と思ってしまった日。