岡崎京子の愛の生活を読む。この本私にとっては鬼門。なぜかというと自分は誰かを愛しているか?愛したことあるのか?と突き詰めて考えそうになるから。数年前もこの本を読んで、いっぱい考えた。でも答えは見つからないまま。私は誰かを愛したことがあるのだろうか?たまたまそばにいて寂しい思いをしないから?とか、私よりお金を持っているから?とかまたぐるぐる考えてしまう。多分何かがあったはず、と主人公は言っているけど私も本当にそう思う。そこには何かがあったはずなんだよね。筆者あとがきには「ここは誰一人としてきちんと他人を愛する人間が出てこないのですから」と書いてある。自分の軸がずれそうになるのを感じる。私は誰かを愛してみたことがあるだろうか?とか、愛しているのか?とかつい考えてしまうんだよね。愛している、と人は簡単に言うけれど愛ってそんなに軽いものじゃない気がする。友人に次から次へと好きになる対象が変わっいく人がいるんだけど、他人を「愛して」いない、自分しか愛せない、そんな印象を受けるのよ。かわいいから、とか話が合う、ってだけですぐ人を好きになっているの。いつもそれを指摘しているんだけど馬耳東風。結婚できればいい、としか考えてないみたい。それって愛じゃないよね。じゃあ何が愛なのかと問われても私にはまだわかんないけどさ。ちなみに私は桜田(兄)タイプだと思う。「あの女は全身でSOS信号を出してる 身勝手だけど 自分勝手だけど(まるでわたしみたい) お兄ちゃんはそれを受けとめない 決して受けとめようとしない 自分に何かがふりかかると 受けとめるふりして 実は無関心なんだ あたし 知ってる」ってフレーズがあるんだけど、まさに私自身かと思うくらい。私は自分に降りかかるものを受けとめない。いざというとき無関心、無責任になる。自分でもよくわかる。だから人から信用されないんだよね。いざというときにげるのわかっているだろうから。主体性がない、よく言われるけど自分の選択で責任取りたくないから自分からアクションをおこすことはまずない。リーダーとか苦手。いざというとき逃げられる準備しちゃうもの。私の関係ないところで頑張って、と強く思う。30になっても実家暮らしなのでよく親に怒られるけど、まるで聞いちゃいない。何か私とはまるで関係ないところで話ができてるのでは、とさえ思う。私の選択は間違っているんだろう、くらいにしか考えてないし。だから責任を取らない範囲でしか生活したくないんだよね。それはヤフオクのノークレーム・ノーリターンってやつに近い。何の話だっけ?そうそう愛の話だった。多分っていうかかなりの確率でないと思うけど自分の子供ができたとき、その子を愛せるか全く自信がない。憎くて憎くて育児放棄してしまいそうだ。だから多分私に子供は無理だと思う。猫飼うくらいがちょうどいいよ。猫は家の中だけで済むから。猫のことは愛してるなあ、多分。昔は病気のせいで猫にかわいそうな思いをさせたこともあるけど、多分猫のことは愛している。人間はどうだろう?そこでまた冒頭に戻るわけですよ。