ボディートーク施術士になる前に、施術士の先輩からいただいた言葉を思い出しました。



“人間には肉体と魂、両方に感覚器官があるということ。
ボディートークは、とても上手に、わたしたちの内面の不安を表面化してくれる。“




例えば
窓に差し込む太陽光を本質の自己の意識とすると、
それは窓ガラスを通過して床に当たり、
さらにそれが反射して壁に映し出される。

私たちは、
壁に揺らぐそんな
いろいろ纏った光を自分だと思って
こんな自分、あんな自分と言っているみたいです。
ガラスについた色も
床の凸凹も
自分のものかもしれないけれど
それ自体が自分なわけじゃない。

肉体の五感より
もっと奥の感覚器官は
何を感知しているんでしょう。





この声 枯れ果てても
おまえの名を 呼ぶだろう

この目 潰れようとも
おまえの姿を 見るだろう

この耳 音をなくすとも
おまえの声を 聞くだろう

この両足 失おうとも
おまえのもとへ 行くだろう

この両腕 折られても
おまえをきつく 抱きしめよう

この鼓動 止まっても
意識でおまえに ふれるだろう

この身 すべて引き裂かれても
流れる血潮に おまえを映そう

だからいま

せめていま

時間を止めろ

夜の夜には

    ーリルケ『からだは、いらない』ー