その先にどんな事が待ち受けているか
希望や期待をもつことは
それが裏切られた時に傷つくからと
わざわざ打ち消して
否定形を使ってなだめておくっていう習慣
ありませんか?

あるいは
最大限良くない状況を考えてみても
今と変わらないところ
これくらいであるならいいさ
というところに
落とし所を設定して
くすぶる気持ちをごまかしてること
ありませんか?

実はそれが
自分を一番傷つけているかもしれません

惨めな自分
被害者の役
偽りの謙虚さ
そこに
作りものの安心感を置いたりして
それが自分だってことが
板についてしまうなんて

あぁもったいないな

と、私は
思ってしまうのです







“『君は自分の中に
 預言者が住んでいるのを知っている。
 預言者を閉じ込めてはいけない。
 それは絶対に避けるべきである。』

D「......人間の側で言えば
 新しい立場に立ったり
 新しい経験を積むことは
 常に恐ろしいことに見える。
 でも君の内部にある預言者は
 どんなことでも
 愛そうとしている。
 そして、それがつながる日が来る。
 つながる時が。
 それは信じる必要はなくて
 はっきり向こうからやって来る。
 ......すると
 閉じ込めるというのは
 その憂鬱な天気が
 永久に続くと思うことなんだ。
 いい?
 天気は常に変わってゆくんだ。
 どんなにいい天気であろうと
 どんなにひどい曇った天気であろうと
 天気は同じように変わってゆく。
 つまり
 人間の喜びも人間の安心も
 人間の幸福も人間の不幸も
 人間の空しさも人間の不安も
 それは皆常に
 移り変わって消えてゆくものだ。
 それを放っておくということ。
 それが閉じ込めないということ。
 そしてそれだけだと考えて
 その中で苦しむこと。
 それが閉じ込めること。」”
  『十三番目の冥想』雨宮第慈講和録1