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創価学会 池田大作会長著 人間革命 第4巻 生命論 戸田城聖

 
創価学会 池田大作会長著
人間革命 第4巻
1行目に「生命論 戸田城聖」と書いた原稿を前に、しばし熟考する戸田。
彼の脳裏には、仏とは生命なりと悟達し、地涌の菩薩の大使命を覚知した獄中での体験が去来する。
生命論を基調とした仏法の新展開が始まろうとしていた。
世界では朝鮮戦争が起こり、東西の対立は激化。人類を滅亡の危機に追いやる核軍拡競争の時代に突入していく。
 一方、GHQが実施した「経済安定9原則」は民衆の生活を揺るがす。
そのあおりで戸田の事業も悪化し、伸一が携わる少年雑誌も休刊。
戸田は出版から金融業に転じるが、経営は逼迫(ひっぱく)し、彼は学会の組織に迷惑が及ばぬように学会の理事長を辞任する。
その戸田を助けて、一人、懸命に奮闘したのが山本伸一であった。
伸一は詠(よ)む。「古(いにしえ)の奇(く)しき縁(えにし)に仕えしを人は変われどわれは変わらじ」
--昭和24年から26年にかけての苦境下に織り成された、この師弟不二の秘史は、後の学会大発展の淵源となっていく。
池田 大作
人間革命 (第4巻)

創価学会 池田大作会長著 人間革命 第5巻 宗教法人「創価学会」の設立


創価学会 池田大作会長著
人間革命 第5巻
 昭和26年5月3日、事業の苦難をすべて乗り越え、戸田は晴れ晴れと第2代会長に就任する。
その推戴式の席上、戸田は75万世帯の大折伏を誓い、それができなければ遺骸を品川沖に捨てよと叫ぶ。
 時あたかも日本は講和問題を巡って揺れていた。
その行方を鋭く見つめつつ、学会は新出発したのである。
この年4月の支部の統廃合、聖教新聞発刊をはじめ、「学会常住」の御本尊の授与、御書編纂(ごしょへんさん)の決定、男女青年部結成、宗教法人「創価学会」の設立等々、戸田は短時日の間に着々と広布の布陣を整えていく。
7月11日の男子青年部の結成式では、彼は、
「ここに集まった諸君のなかから次の会長が現れるだろう」と語る。
 翌年には、伸一が組織の第一線に躍り出る。
彼が指揮する蒲田支部は2月に初の200世帯を超える折伏を達成し、驀進(ばくしん)の突破口を開く。
一方、東北の仙台支部が躍進著しく、戸田は地方拠点の強化にも力を注ぐ。

池田 大作
人間革命 (第5巻)

創価学会 池田大作会長著 人間革命 第6巻 狸祭り事件(笠原事件)

創価学会 池田大作会長著
人間革命 第6巻

 

昭和27年4月27、28日には、総本山で「立宗七百年祭」が行われた。
大聖人の立教開宗から700年の慶事である。
この折、戦時中、神本仏迹論(しんぽんぶっしゃくろん)の邪義を唱え、牧口会長を獄死させる原因をつくった
悪侶の笠原慈行が、総本山にいることが明らかになった。
義憤(ぎふん)に燃えた青年部員たちは彼を詰問し、初代会長の墓前に謝罪させたのである。
“狸祭り事件(笠原事件)”であった。
 ところが、邪悪を責めたこの行為に対し、宗門の宗会は、本山を騒がせたとして、
戸田会長の大講頭罷免(だいこうとうひめん)、登山停止という不当な処分を決議する。
青年たちは師匠を守るために怒りをもって立ち上がり、宗会議員に個別に面談し、
不当な決議の取り消しを求めていく。
最終的に、この問題は、戸田の処分なしに解決を見るが、
学会はこうした宗門の権威的体質と戦いながら広布を進めていくことになる。



池田 大作
人間革命 (第6巻)


創価学会 池田大作会長著 人間革命 第7巻 日蓮仏法の精髄

 

創価学会 池田大作会長著
人間革命 第7巻

昭和28年、学会は7万世帯の達成へ、年間5万世帯の折伏を掲げた。
そのために、まず抜本的な人事と、支部中心から地区中心への指導体制の移行が行われた。
伸一も第1部隊長に就任し、さらに文京支部長代理となり、信心の団結をもって、弱体の支部を一変させていく。
 学会前進の原動力となったのは、戸田の「方便品(ほうべんぽん)・寿量品(じゅりょうほん)」の講義であった。
自らの原点たる獄中の悟達に基づき、日蓮仏法の精髄を会員に説いた。
我が身が妙法なることを、生命の永遠を、仏法即生活を--その感動と確信が同志の弘教に拍車をかけたのである。
 また戸田は、男子部に水滸会、女子部に華陽会(かようかい)という人材グループをつくり、
次代の指導者の育成に生命を削っていく。なかでも水滸会は、伸一を中心に、師とともに宗教革命に生涯を捧げることを誓い合う。
 11月には学会本部が信濃町に移転し、次の飛躍の基盤も整った。


池田 大作
人間革命 (第7巻)

創価学会 池田大作会長著 人間革命 第8巻 広布推進のスクリュー

 

創価学会 池田大作会長著
人間革命 第8巻

破竹の勢いで邁進(まいしん)する学会には、幾千幾万の功徳(くどく)の体験が花咲いていった。
それは、暗い宿命に翻弄(ほんろう)され、泣き続けてきた無名の庶民が、経済苦・病気・家庭不和などの苦悩を克服し、偉大なる使命に目覚めゆく勝利の歴史であった。
戸田は新本部の会長室で、その大切な一人一人を抱きかかえるように、渾身(こんしん)の個人指導を続ける。
 昭和29年、伸一は青年部の参謀室長に就任し、“広布推進のスクリュー”としてフル回転を始める。
その斬新な発想から、青年部1万人総登山や、文化祭の前身となる体育大会などが生まれていく。
その頃、戸田は数名の東大生に法華経講義を始め、これが学生部の萌芽(ほうが)となる。
水滸会への訓練も続き、東京・氷川で第1回野外研修が開催される。

 折伏の拡大につれ、学会の存在はようやく社会の耳目を集め、他宗派やマスコミからの批判・中傷も高まっていく。


池田 大作
人間革命 (第8巻)

創価学会 池田大作会長著 人間革命 第9巻 小樽問答

創価学会 池田大作会長著
人間革命 第9巻
舞台は北海道・小樽。
地元の学会の中心者である婦人たちが、日蓮宗(身延派)から改宗した会員宅を訪れると、
学会の布教を阻止しようと目論む日蓮宗の僧侶に出くわした。双方の話し合いは、
やがて法論開催の誓約に至る
--北国で突発したこの事件は、創価学会と日蓮宗の公開法論となり、
昭和30年の3月11日、伸一の司会のもと、学会は完膚(かんぷ)なきまでの大勝利を収める。
歴史的な“小樽問答”であった。

 この春、戸田は、統一地方選挙に同志を推薦する。
仏法を生命に刻んだ人格高潔な人材を政界に送り、政治を民衆の手に取り戻すためであった。
伸一が指揮をとった東京都議会の大田区と横浜市議会の鶴見区が最高点で当選するなど、全国で53人の同志が当選した。
 
会員の折伏の情熱は一段と増し、広布の上げ潮となっていく。さらに新潟大火災を通して、会員が得た信心の実証がつづられる。

池田 大作

人間革命 (第9巻)

創価学会 池田大作会長著 人間革命 第1巻 不滅の金字塔

創価学会 池田大作会長著
人間革命 第1巻
一念の章では山本伸一(池田先生)の、
あの伝説の昭和31年の大阪参議院選での戦いが掲載されております。

誓願に生き抜く弟子が深き祈りを重ね、
苦悩を打ち破った時、法華経の兵法に行き詰まりは無いとの
大確信に立てることを教えています。


池田 大作
人間革命 (第10巻)