うわ、5月が飛んでった……。

いや、5月はちゃんとあったんだった。一律に。他の11ヶ月と均等にね。

それから6月の前半があった。

なんだか。

そうそう、最近の命題。愛は欲求だ!

辛いことも楽しいことも、だいたい似てきたのに。

振れ幅が分かって慣れてきたのに。

愛って!

わがままだなぁ~。







昨日の夜、めずらしく私は寂しくて、特に好きでもないある人に会いたい、話をしたいと思っていた。

それから一度だけ雨の日に、一緒にカレー屋に行ったことを思い出して、2人とも傘を差しているせいで距離が取りづらくて、話をしていても集中できなくて、でもその人が新宿のせまい道をお構いなしに先に行ってしまうので、私は『不親切だなぁ』と思っていて、店内、笑ってくれたこと、何かについて考えているとき私を全然見てない視線のこと、真剣と冗談のスイッチが切り替わった瞬間のことなど、寄せ集まった断片にぼんやりと包まれた時間を映像にしていたら、その時間は切り取られて現在とは別のところに置いてあったので、どんどん寂しくなった。


その人は、たとえば、目の前にいて、視界の中にちゃんといるのにそこにいない、会っても会っても、いつもどこにもいない感じがするので、昨日もどこにもいない気がして寂しかった。

「その人」と「その人以外」がまったく同じ質量になって、「その人以外」の中には私も入っているので、私は傲慢にも、「その人と私」と「それ以外」になれたらいいのにと思った。

そんなふうに思うことなんてなかったはずなのに、「あの人も自分と同じくらい寂しくなってくれたらいいのに」と思ってしまった。


今日になって、そんな気持ちは嘘だったかなぁ?でもまたいつか同じような気持ちになったらどうしたらいいかなぁと思っている。

またブログ忘れてた・・・・・・。

私の場合、立ち止まったり悩んだりすると日記を付ける傾向にあるなぁ。すなわち、最近は悩めずにいたのだ。

悩みがないのではなくて、悩む余裕や時間がなかった。・・・いや、これは違う。


たぶん、悩むことを大事にし始めたから。

もっと悩むことを大切にしないと、何が自分にとって必要なのか、分からなくなると思ったんだと思う。

憂うのも悩むのも簡単だから、氾濫しちゃいけない。適切に利用しないといけない。

悩むの乱用禁止条例が出ました。


どうせ悩むのなら『悩むことはデザインすること』であるほうがいいと思う。

デザインすることは、個体の輪郭を取ることだけど、同時に空間の輪郭も切り取っている。

だから、自分をデザインすることは、自分の周辺がどうデザインされるかということと一致する。


1ヶ月くらい前、会社の上司で学校時代の恩師でもある人とラーメン屋で飲んでいた。


この人というタイミングは恐るべき一致の仕方でもって私の人生に乗り込んできて、6月だかにここにも書いたが、この人に怒られたとき、大人になって初めて私は人と出会うことの本質を見せつけられたのです。


で、飲みながら仕事の話になって、その時私は悩んでいて、上司兼恩師にはそれがバレていて、『仕事楽しい?』と聞かれた。

私は『楽しいです』と答えられなかった。

『なんか私はこれこれこうで、ダメだなぁって思うんです』と言った。

すると、『お前っていつも自己批判から入るじゃん?それって家で一人でやってればいいことで、対外的には卑屈に見えるだけなんだからやめなよ』と言われた。

そのタイミングがまたズバ抜けてて、伝導率100%で、打たれて響いて、私は『うわーかっこいいな』と思った。愛があると思った。午前2時に天下一品でラーメン食べながら、そう思ってた。

なのでそれから私はなんとなく、街で天一の入り口を見ても軽々しく入れないなぁと思ってしまう。

だから、悩むときは言い訳しないで、他人に理解されようなんて思わないで、苦悩に溺れないで、ちゃんと自分をデザインできるような機会として、大切にしないとなぁと思ったんだと思う。