―とある日。
わたしはある歌手の綴るブログに出会い―
迷うことなく購入した1枚のCD。
そうして手にしたそれは夜な夜なイヤホンから流れることになる。
気がつけば朝も昼下がりも電車の中でも。
その歌手の名前は
遠藤勇介
シンガーソングライター
彼の歌と歌声。
それはあまりにこころの弦を震わし、
ふり返る記憶に連鎖し―
今の自分に作用するもののはかり知れないきっかけをもらった。
そのCDには2曲がおさめられていた。
『帰省』
『いつかあの丘で』
彼の『帰省』という歌
美しいピアノ伴奏からはじまるのだけれど
歌い出しの声を聴いたとき
ドキッとした
どうしようもなくあたたかくて
歌詞は見ないで聴いた
というより自然に目をつぶっていた
すべての感覚をイヤホンから流れる歌声に傾けた
歌詞を見なくても聞き取れる丁寧な歌声
その声と歌い方に吸い込まれた
時折、ギターの弦を指がなぞる音がまたすごく良くて。
弦を滑らせる指先にまで彼のこころが伝わるから、
そんなひとつひとつの動きまでもが音となり、心地いいと感じる。
どこまでもやさしくてあたたかい。
彼の歌声が伝う部分に素直になってしまう。
彼のこの歌声だからきっと素直になれてしまえるのだろう。
そんな楽曲に自分のおもいを馳せるようになるのに
時間は要らなかった
それってものすごく不思議だけど
すごい力だとおもった
彼の表現力のすごいところ
こうあるべきだ
なんてひとつも言われていないのに
ふり返り
今を見つめ
おもうもの
ありふれた日常
毎日同じことの繰り返し
それでも
ひとは日々何かを感じ
その瞬間のために感じるこころのスペースを
胸に抱き続けているのだと思うから
今の時代、
大切なひとに
おもいを伝えることに対して
何かのイベントや特別な日に…と
温めてしまいがちだけど
―それは決して悪いことじゃないけれど。
それは気持ちを伝えたい、というその真心があるからこそで
ただ…きっかけが必要だったり
勢いやタイミングに力を借りたいときも、もちろんあるから。
もし
ふとした日常に
どんなときでも気持ちを素直に伝えられるのなら
こんなに素敵なことはないな、とこころから思う。
彼の『帰省』
伝えたいから伝える、それだけじゃない気がした。
それは伝わってしまうものでもあるのだと。
互いにがそこには存在している。
向かい合う側にいるひとの表情が、
隣にいるひとの横顔が、
やさしさに包まれているのが感じられる歌。
視線の先の笑顔も
いつも見ていたはずのひとの表情もきっともっと感じられる。
視線の向け方は、向けられた側にもそれは伝う。
眼差しとはそういうものだ。
だから、視線を交わすことは本当に大事で。
見つめるということは、きっとそういうことだ。
曲のラストの'ありがとう'―。
わたしには、そのありがとうに応えるひとたちの'ありがとう'が聴こえるようだった。
そっと…力を貸してくれるから。
こころにふわっと触れるものに―
もっと素直になれてしまう。
そうして大切なひとにもっともっと愛おしさがこみあげる。
愛おしいという感情は、大切だとおもう感情は、
満ちても尽きることはないものだから。
そんなしあわせの連鎖はどれだけあっても良いものだから。
…
もう1曲の『いつかあの丘で』
こちらはギターの伴奏からはじまり、ピアノの旋律がそっと寄り添ってきて…
そう。本当に寄り添うという言葉がぴったりで。
そのメロディには果てしなさがあった。
時間―。
誰にも平等にあたえられた規則正しい流れ。
その規則正しい中にも、
刻んだ時というものは、刻んだ時間の何倍にも感じられる記憶や想い出という素晴らしい時間に姿をかえてくれることがある。
わたしの中のそれがメロディにいざなわれ、わたしはある記憶と久しぶりに向き合った。
ものすごく近くに感じられた場所はでも、
いつまで経っても慣れてしまうことのない―慣れてしまうことなん
そんな場所はやがて遠い遠いところになっていたけれど。
刻んだ時間の先で
積み重ねてきたもの、ひとり見上げた空、
時に宛もなく彷徨う視線の先には
心通わす空が見当たらなくなったりもした。
そうして過ごしたいくつもの季節は
それでも―。
今の自分に繋がり続けている。
曲の途中、
"それぞれの心を―"の
"心"の歌い方が、その発声がとても印象的で、大好きな部分。
何度も聴いていると、お気に入り箇所がどんどん増えていく。
きっかけというものは
欲しくて手にできるものじゃない
出会いは欲して手にできるものでもない
だけど
何かを感じたから惹かれ、それが出会いとなりきっかけとなる。
その感覚も、心情も人それぞれで
今のわたしにとって、ふいに訪れたものが、
響いた、その直感はまさしく出会いであり
そのきっかけをどう生かすかは自分次第なんだと―。
言葉を綴る(届ける)ということに対して慎重になるのは。
守りたい領域―大切にしまっておきたい部分―というものがあって
未だにそれは変わっていないから。
だけど、今こうしてここに言葉を綴っているのは、
しあわせの連鎖という、彼の歌から繋がったもの、ほどけていった
しあわせだね、って微笑み合えるひとがいること、
そこからたくさんの語らいがうまれたこと、
遠い日の出来事を分かち合えたこと、
知らなかったおもい、知ることができたおもい―。
そんな時を過ごせた今だから、
わたしは今を愛おしく思う。
今に至るまでの時間の経過には数え切れないほどの、時に対する交
こんなふうに、たくさんの触れ合いをくれた彼の歌。
そんなしあわせの連鎖を伝えたいと思った。
素敵なことだから。
彼の歌に、たくさんのひとが触れてほしいと、こころから思う。
街中に響き渡ればいいなと思う。
自分を動かす原動力というのは、自分の呼吸とそれがびっくりする
その重なり方は、うきうきするものであったり
息切れしてしまいそうなのに、そんなのなんてことないぐらいに心
そんな自分の呼吸が感じられることが嬉しくなる気持ちは、これか
だからいつまでも応援していきたい。
今はひっそりだけど
ここに言葉を綴ろうと思う
いつか―
こんな気持ちにさせてくれた、ありがとうの気持ちを彼に伝えられ
こんなふうに誰かのこころに触れて
自分の息吹が復活するなんて―
ことばはわたしの息吹だった
ことばを綴ることが好きだった
伝えたいとおもうひとがいた
伝えるために―
幸せが何かなんて、その定義も口先だけの響きになってしまうのが
こころとこころが触れ合うたびに
なぞりなぞられ、その感覚は今になっても
わたしの中にしっかり刻まれたままでいることに
もう一度出会うきっかけをくれた
わたしは彼の歌が大好きで。
だからこれからも、ずっと応援していきたい。
わたしの遠藤勇介ブログは
これからはじまる。


