忖度とハラスメント。私たちは悪くない。 | 晴耕雨読

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晴れの日には食べるもののために土を耕し、
雨の日には文化や知識にふれる。
そんな生活に憧れつつも、実現できない人が書いてるブログです。

ブログちょうど三か月ぶり。

 

体調崩して生活のペースが乱れると、ブログ含め続けていたあれこれを再開するタイミングを見失ってしまう。今はずいぶん元気になってきた。食欲がなく体重が落ちていたので、とりあえずストレッチや筋トレから再開したらいい具合に体脂肪が落ちて体が軽くなった。それでもまだまだ落としたいところ。

10年ほど前から太り始め、去年あたりがピークで20代前半の一番痩せていた時から比較して20キロ増えた。アラサー時代と比較しても15キロ。マックスから6~7キロ戻したものの、まだ少し減らした方がよさそう。

生きてるといろんな厄介な事があるけれど、同じくらいつるつるとうまく事が運ぶ場合もある。健康のための運動は二年ぐらい前からやっていたけど、最初の半年ぐらいは全く効かずに逆に太ったぐらいだったのに、ここ三か月で5キロほど落ちて体調崩す以前よりも元気になってきた。一年前に始めた歌のレッスンもしばらく休んではいたものの、筋量付いたら以前より声が出るようになっていた。

若い頃と比べたらずいぶん衰えを感じるものの、まだまだ取り戻せる部分があるみたい。年取るとなんでも時間がかかるけど、やってやれないこともないんだよな。試しにあれこれやってみたけどいろいろよかった。これからも無理のない範囲で続けていきたい。

 

 

最近色々なニュースを見たり本を読んでいて思うんだけど、人間が無理なく人間らしい人生を送れる生活がなかなか成り立たない社会状況があるのは、日本が敗戦国であるという事実と、日本には和をもってとうとしとなす忖度文化があることと、切っても切れない関係があると思う。無理して死ぬ気で働かないといけない体育会系のノリはハラスメントと自死の温床であり、命がけでカミカゼしないと自国を守れない弱国の闘い方でもある。戦争では調子こいた権力者が廚二病みたいな勘違いした考えで海外と渡り合おうとした結果が敗戦だったと思うし、国内では権力に従い無理を強いられて弱者が過労死や自死に追い込まれる。

日本にも地続きの大陸があったり、共有する言語のある他国があればもう少し風通しが良くて追い込まれることもないと思うけど、地政学的に孤立した国なのだ日本は。物理的には海に阻まれ、コミュニケーション的には言語に阻まれ、文化的にもガラパゴス化している。例えば同じ島国であるイギリスとも違うのは、国土の住みやすさの違いと遺伝子的な攻撃性の違いだろう。大英帝国は積極的に他国と戦争し侵略したりされたり、民衆が権力者に反発し革命を起こして社会を作ってきた歴史があるが、日本は地理的に平地が少なく地殻プレートのはざまで地震や噴火や津波などの災害が多く、歴史的にも理不尽な災害への対処に忙殺されてきたであろうことが想像され、人間同士争うよりも結束を固める事が優先されている。結果日本人は他者との闊達な議論に弱く理不尽な暴力に強い。地震や台風、津波などの自然災害は話してわかる相手でもなければ革命で組み伏せる事が可能な相手でもない。だから日本で怖いものといえば、地震かみなり火事おやじ、と昭和の時代には言われてた。地震もかみなりも家事もおやじも、みんな理不尽に自分の権利をふみにじるものだった。

日本でおやじが怖いといわれていたのは、明治の家父長制度の名残りだろう。父親が女子供の人生を全て決定し、父の許可がなければ何事も許されなかった。全く持って理不尽だ。そのような法律は明治に改正され今では個人の自由が尊重されるようになった。しかし昭和になっても平成になっても専業主婦を望む女性が多く存在していることからみても、これが民衆の方からの突き上げで革命的にひっくり返るようにして作られたしくみではないことがうかがえる。

 

#me too とかの話題でもあるように、現在では男性優位の社会について疑問を呈する潮流が世界的に湧き上がっている。しかしこういう話題でもやはり日本では、女性が声を上げることは少なくむしろ叩かれ、「アメリカではこう言われている」という権威にすがる形式でなんとか体裁が保たれこういう事実がかろうじて広まっている。

なぜ女性の権利が叫ばれる時代になったのか、女性が働くようになったからだからだフェミニストのせいだという意見をネットでみかけるが私は疑問だ。大正生まれの私の祖母は若い頃教師をしていて三人目を生んでから仕事をやめ、華道の師範になって流派の理事になり70代までは生徒とって教えていた。祖母の母(私の曾祖母)は子供が幼いうちに夫を亡くし、夫の商売をひきついで子供達を育てあげたらしい。祖母は母親に、女も何があるかわからないんだか仕事につかないとだめだと言われて教師になったんだそうだ。祖母いわく、当時の女性が就ける職業は教師か看護士しかなかったが、祖母は注射針が怖いから、という理由で教師を選んだそうだ。祖母にとって女の仕事は二択だった。

今はもっと女性の仕事の選択肢は増えているけれども、明治大正時代から仕事に向いてる女ってのは存在するし、男性優位の社会というのは男を頼りにできる状況があって初めてなりたつ。別に男を立てて生きていったっていいんだけれども、好きになった男がろくに働かないカスだったり愛する夫が若くして亡くなった場合、女も働かなければ生きていけないわけだ。で、また働いてみたらそれなりにうまくいくわけだから。じゃあ男ばかり優遇される状況ってどうなのって当然なる。私の祖母や曾祖母のように、とりあえず必要に迫られて働いてみたら昔の女でも案外うまくいった人たちがいるけど、仕事をすることに挑戦すらせずに生きて死んだ女性たちも昔はたくさんいたわけだ。その人たちが働いてたらどうなってたんだろう。人間には向き不向きがあるから、女は家にいろ、と閉じ込められ潰されなければ活かされる能力もあったかも知れない。

しかしその問題と、「女が働くようになったから男が稼げなくなった」みたいな論理とはまったく話が違う。戦後昭和の賃金が高くて男の稼ぎだけに頼る主婦が多かったのは、日本が高度成長期にあったためだ。戦後の焼け野原に家を建て直し新幹線などのインフラを整備し、それまでなかった白物家電をすべての家庭が購入したから経済が回りに回った。物価はどんどん上昇して豊かになりバブルがおきた。こまけえことはいいんだよ、とりあえずなんとかなる!女子供はとりあえずおとなしくしとけ。そんな時代はもう二度と来ない。だから認識を改めなきゃいけない。

バブルがはじけてからも、後進国には家電など輸出できたがこれも行きわたってしまった。資本主義経済はどん詰まりだ。

 

最近でもパワハラセクハラでスポーツ界経済界政治界でニュースになっていたりするけれど、頭の古いおっさんが権力を握ったまま未だに権力振り回しているのが本当に残念だ。最近は権力を振り回すのが男に限らないから厄介だけど。

弱者に無理をさせて強者に勝とうとする考え方はもうそろそろ終わっていいと思う。