「 蓮の花ような人 」

数年前、とある能力者さんに
そう言われた事がありました。

とはいえ、私は、
蓮を見た記憶が無かったですが

さまざまな事の運びで
今月から週6~7日勤務していて

スポットの仕事の関係で
先週末に上野公園に立ち寄りました。

そしたら、ちょうど蓮が旬だったようで
はじめて、蓮の花を目の前で見ました。

これが蓮の花なんだぁ。

思ってたより、
葉がとっても大きい。

水面にびっしりと
沢山の蓮の葉と、ゆらゆら揺れる
大きな蓮の花が沢山咲いていました。

その蓮の花を見て

意外にもそんなに特別に美しいとは
感じませんでした(笑)

なんていうか
特別美しい…というよりかは

ごくごく当たり前の事。

私にはそんな景色に映りました。

ただ、その蓮の花達を見ていたら

私の幸せの捉え方と
蓮の花が似てるなぁ。

と、思いました🍀

生きていたら、綺麗事では済まないほどの
泥臭い世界の中に塗れて
当たり前に生きるもので

幸せとは
不幸な事が何も起こらない事
ただただ平和な平坦な日々が永遠に続く事が
幸せなのではないって事。

私が思う本当の幸せとは
生きてく中でさまざまな事が起きて
そのさまざまに起きる事が
単純に表面上の薄っぺらさだけで
不幸事だとしか捉えるのではなくて、

全ての事に意味を見いだせるのであれば
しまいには、全ては幸せになる為に
必要だった事となる。

つまりは
様々な事があって
お陰様で、私は幸せです🍀

と、思える自分自身の心が
更なる幸せを生む。

と私は思っています。

だからこそ、他人様の粗相な出来事が
例えあったとしても
私には笑いネタにはできません。

私も含め
みんなそれぞれが、それぞれのペースで
それぞれのステージで
例えどんな今であれ、全力で生きているのを
知っているから。

自分自身の本当の意味での
幸せを思い浮かべたら

蓮が咲く環境である泥沼は
私達が生きるそれぞれの舞台
そのものであり、

様々な事があっても時か来たら
みんな、当たり前に
それぞれの花を咲かす。

それは当たり前の事であって
決して特別な事ではない。

みんなそれぞれで
それぞれの舞台で
それぞれの花を咲かす力を
当たり前に持って生まれて来ているから。

私は、そんな
それぞれの生きる力を信じているからこそ
特別とは思いたくないのかもしれない…

私は、そんな泥沼の中でも
幸せを見出す術を
もう少しで

カタチのないモノから
カタチとして表面化出来そうです🍀