誠実で努力家な父は、大工を弟子入りして早い段階で、村の人々の家具作りや自分の弟子を持ち始めたそうです。
母は結婚の翌年に、姉を出産し、そのまた2年後に私(次女)が生まれました。私の次は、弟2人が生まれ、4人兄弟です。
農村だけではなく、当時、母国は男尊女卑な文化があり、かつ、農村では男子は労働力としても使えるため、2人目も女の子だと知った母は私を抱っこすることはなく、悔しくて泣いたそうです。
父はそんな母を励ましたいのと、次女がかわいそうだと思ったため、長女の時よりも多くの爆竹を放たれたそうです。当時、祝い事があれば、爆竹で村のみんなが分かるように祝っていたそうです。
姉は母乳をいっぱい飲む方で、時々、私の分までも飲んでしまったため、私は生まれてから軟弱で、常に病に冒されたそうです。そして、母から好かれていないため、私は母乳が必要な時以外は、父の婆ちゃんの姉か妹かは知らないが、その老婆に世話してもらったが、当然、丁寧に扱われていなかったこともあり、常に汚物まみれな赤ちゃんだったそうです。
「この様子だと、お宅の次女は長く持たないね」
というのは、近隣に住む老婦達の口癖でした。(これらのことは全て、父や母から聞かされた話で、決して私の妄想ではないことを、ここに断りを入れておきます)
そんな赤ちゃんでも、反骨精神があったかのように、私はとても元気に育てました。
弟達が生まれて、父や母、祖父母達は大いに喜んでいました。
田舎での生活は記憶にありません。3歳となる1980年代半ばに、父の兄たちの支援で、一家は都市部に引っ越しました。