温泉へ向かう廊下は、まるで洞窟の中を進んでいるような薄暗さで、  
吊るされた風鈴がカランと鳴るたびに、
なぜか涼やかさよりも不思議な不気味さを感じた。  




「なんか怖いね」「独特な雰囲気だね」  




そんなふうに顔を見合わせて笑い合いながら、 
浴衣を抱えて歩いたあの時間。  
ただそれだけで、二人で寄り添っていることが
嬉しくて胸が高鳴った。  




結局一緒には入れなかったけれど、
先に出た私を彼が待っていてくれた。  
その姿を見た瞬間、胸の奥が温かくなったのを
今でも覚えている。  




ピンクの浴衣に袖を通して出ていくと、
彼はにこにこと笑顔を向けてくれる。  
その視線に思わず頬が熱くなった。  
けれど──彼は浴衣ではなくTシャツと短パン姿。  




「え!なんで浴衣着てないの?」  




そう言って笑い合ったやりとりも、
今では愛おしい思い出の一部になっている。  




部屋に戻ると、二人で缶ビールを開けて乾杯した。  
5年という月日の中で、初めて一緒にお酒を口にした。
彼はいつも運転があるから飲めなかった。  
だからこそ、この夜の乾杯はただの一杯以上の意味を持っていたと思う。




私はあまり飲めずにふらふらと歯磨きに立ったとき──  
背中に感じたのは、彼の腕の温もりだった。  
そっと、けれど確かに抱きしめられる。  
振り返らなくてもわかる、その想い。  




昭和レトロな宿の静けさに包まれながら、  
ようやく始まろうとする“二人だけの時間”。  
何年も待ち望んできた瞬間の、
その入口に立っているのだと、  
私は息を詰めるようにして感じていた。