最近綴っています【セックスレスという現実】シリーズ は、
2020年にこのブログを始めたときに、綴り始めた内容です。
あの時には、深く語れなかったこと、
あの時には、気づかなかった自分の気持ちなど
改めてまた振り返りながら綴っています。
ご興味を持っていただけましたら
過去の記事と合わせて読んでいただけると嬉しいです。





2人目を授かったあの“最後の1回”以降、  
私たち夫婦のあいだに、
夜の営みは一切ありませんでした。



それでも夫は、子どもができたことを
心から喜んでいました。  
子育てにもよく参加してくれて、
外から見れば、どちらかというと“イクメン”。  
家族としての姿は、ごく自然で、
普通に見えていたと思います。



でも──  
私の中に積もっていたのは、誰にも言えない、
深い孤独でした。

 


「もう、二度と抱かれることはないんだろうな」




そんな確信のようなものが、  
2人目を授かった時点で、静かに心に根を張っていました。




子どもたちと笑い合っている時、  
家族で出かけている時、  
食卓を囲んで「幸せだね」と言い合う時でさえ、  
どこか自分だけが取り残されているような感覚が、
ずっと拭えませんでした。




──私は“母”としては満たされていた。  
でも、“女”としては、完全に置き去りにされていた。




そのことを、誰にも話せませんでした。  
「母なのに、そんなことを思うなんて」
と思われるのが怖かった。  
“欲”や“寂しさ”なんて、口にしてはいけない気がしていた。




だけど、心のどこかではずっと叫んでいたのかもしれません。  

 


「どうして、女として見てくれないの?」  
「どうして、何も言わずに背を向けるの?」




その答えは、たぶん、もう何年も前から変わらないものでした。




──「そういうの、別に、、、」  
──「なくても困らないし」  
──「ゆーがそういうこと気にする人だと思ってなかった」




夫はセックスだけでなく、生活全般においても“やると言ってやらない”人でした。  
実行力がなく、口だけ。  
言い訳をしては先延ばしにする癖があって、  
家庭を支えるという意識も、どこか甘かったのです。




子どもが生まれる前、彼はスマホのゲームにハマり、  
1ヶ月で100万円以上の課金をしたことがありました。  
それが発覚したとき、彼は深く反省し
「もう二度としない」と約束してくれた。




でも、2人目が生まれたあと──  
また、同じことが起こりました。




節約して、切り詰めて、  
ギリギリの生活を続けている中で、  
そんな現実に直面するのは、心が折れるほど苦しかった。




私の悩みは、セックスレスだけじゃなかった。  
「愛されていないかもしれない」
という不安だけじゃなく、  
この人と家庭を築いていくこと自体に、
どこか絶望を感じていたのです。




でも、誰にも話せなかった。  
こんなことを口に出せば、  
「子どもがいるだけで幸せじゃないの?」  
「家庭があるだけで十分でしょ?」  
そんな言葉を返される気がして、怖かった。




私の中で、「母としての幸福」と「女としての渇き」は、  
いつも背中合わせに存在していました。




「もう一度、女として求められたい」  
そんな願いが芽生えてしまう自分を、  
私はずっと責め続けていたのです。




でも──  
今だからこそ言えるのは、  
あの頃、私は本当に“誰かにわかってほしかった”。




言葉にできなくてもいい。  
ただ、そっと心に寄り添ってもらえるだけで、  
少しは違ったかもしれません。




だから今、  
あの時の私と同じように、  
「母としての顔」の裏に「女としての孤独」
を抱えている誰かがいたら──  
どうか、自分を責めないでほしいと思います。
 



その想いに名前をつけられるようになったとき、  
あなたはきっと、少しだけ前を向けるようになるから。




……そして、私にも転機が訪れました。  
「このままじゃ、私は壊れてしまう」  
そう思った“ある出来事”があったのです。




続きは、また別の章で綴らせてください。