marioですけども、こんにちは。
4月9日(月)の早朝に大阪・難波に到着し、そこから南海電鉄高野線にて高野山へGO☆
高野山駅からはバスに乗り、街中へ向かいます。
「高野山、どんなところだろ、行ってみたいかも」と、本屋さんでガイドを手にするまで
何にもわからなかったのですが、
高野山て、和歌山県の伊都郡高野町…市町村の一つでもあって、
そこで暮らしている普通の人達がいらっしゃるのですね…。
それすら知らなかった。
それまでの自分の知識は…高野山、空海さん、真言宗、金剛峰寺。
このキーワードだけだし、最澄さんとごちゃまぜになってしまってたし。
ちなみに人口4千人弱の町で、修行なさっている若い僧侶の方がたくさんいらっしゃるようです。
二十代前後の男性が多いのね。←ウィキに在住の人の年代分布グラフなどありました。
街の様子がわかる写真がほとんどなかった…。
↑これはバスから外の眺め。
すれ違うのは観光客(平日外国人多し)、お坊さん。
高野山の中心地、壇上伽藍付近ではすれ違うのはお坊さんばっかりだった。
(大きな行事があったらしい)
バスで宿泊予定である宿坊近くまで行き、荷物を預かっていただきました。
チェックイン(この言葉、宿坊では適切なのか?)時にお世話してくださるのが
またお坊さんだったりするワケで、それが私にとっては驚き。
一人一人、「なんで僧侶になろうと思ったのですか?」と聞きたい衝動にかられる。
それをグッとこらえて、空海さんの5秒…違う、御廟へ向かいます。
↑上の写真が高野山のメインストリート(青線)の地図、下はバスの時刻表。
小さい町の割りにバスは頻繁にあります。
(1時間に2~3本あれば、私の中では都会と判断)
指を指しているところに宿坊があり、そこは空海さんの御廟への道の入り口付近です。
そこから黄色線の道を歩いて奥の院(空海さんの御廟、お墓があるところ)へ出発!
奥の院への入り口にて。
この日は天気に恵まれて、本当に良かったー。
寒さも感じずに気持ちよく歩きました。
このような道が2キロ続きます。
道の両側には歴史上の偉人達の墓所がたくさん。
それ以外に一般の方のお墓ももちろんあります。あと、企業のも。
伊達政宗墓所。
明智光秀墓所。
石田光成墓所。
浅野タクミノカミ墓所。漢字がわからなくてすみませんね…。
あの吉良コウズケノスケを切りつけた人ですよね?こっちも漢字がわからない…。
ひときわ大きなお墓はこちら。
徳川家康長男のお墓。
「なんで鳥居?」というのは私に聞かないでください。
またこのほかにもたくさん歴史上の人物の墓所があるワケですが、
本当に遺骨が納められているワケではなくて、高野山にもいろいろ事情があるようで…。
…それも私に聞かないでください。
うすっぺらくてすみません。
「高野攻め」とかのキーワードなどで検索するとわかるのかな?違うかな?
ゴニョゴニョ……
他にはたくさんのお地蔵さんがいらっしゃって、
人によっては怖いと思われるかも知れませんが、
手編みの帽子とか、マフラーをつけてもらってて、なんとも可愛いのです。
マリオ:「あったかそうだねー、オレも赤は好きな色だよ。」
(これらは拝んで写真を撮らせていただいてます)
双子ちゃんのお地蔵さん?
折り紙の手裏剣が供えられていました。
マリオ:「これで遊んでいるのかな?手裏剣は投げられないけど、オレはファイヤーを投げます」
そんなこんなで写真を撮ったり、風景を眺めたりしていると2キロに道のりだけども、
あっという間に時間が過ぎていきます。
そして、奥の院に到着!
しかし、ここでの写真はありません。
奥の院は写真撮影不可なのです。
怒られちゃうと思うけど、旅の準備と思って、空海さんについての本・マンガをほんのちょっと読んだりして、
なんとなく親近感がわいてしまい、空海さんのことを心の中で「佐伯くん」と呼んでいました。
(佐伯真魚(さえきまお)というのが空海さんの幼少のころの名前)
(でもでも、本当は「お大師さま」とお呼びしなくちゃならないようです)
御廟の前ではこれまでのいろいろを勝手に空海さんにご報告、
そして、これからのことをお願いしてきました。
御廟の前の燈籠堂の雰囲気がまた良かった。
またもや尻すぼみのブログで失礼☆
【追記】「空海さんのお墓」なんて書いたので怒られちゃうかな?と思ったので、
次のブログでわからないなりにもちょこっと書いてみましたー、「ゴニュウジョウ」のことなどを。










