これからは
「ごめん」
じゃなくて
「ありがとう」だね。
って始まったけど、
最後に言われた言葉は、
「ごめんね」・・・・
ムムム・・・
今日は 生活にモヤがかかっている
フォンダン・ショコラならぬフォンダン・脳
言うなれば
耳栓して水中で生活している
全てが別世界で起こっているように見え
雑音 人の声 が遠くで聞こえ
自分の声はこだまする
何してもぬるっとして
手ごたえがない
シャキッと立ちたいのにぬるっと倒れ
シャッキ--ン・・・へなっ
溶けているのか腐っているのか
昨日の記憶がすでに
夢かも。と思うほど実感がない。
今日は 生活にモヤがかかっている
フォンダン・ショコラならぬフォンダン・脳
言うなれば
耳栓して水中で生活している
全てが別世界で起こっているように見え
雑音 人の声 が遠くで聞こえ
自分の声はこだまする
何してもぬるっとして
手ごたえがない
シャキッと立ちたいのにぬるっと倒れ
シャッキ--ン・・・へなっ
溶けているのか腐っているのか
昨日の記憶がすでに
夢かも。と思うほど実感がない。
今日は歯医者さん。
歯医者さん 苦手です。
どうやって克服しようか。。。
ウン できそうにないです。
でも、チャント通うって今年の目標にしたので
行くのです。
今日も治療中ず---っと
手は グ- でした。
身体がカチンコチンになるので
治療終わりは疲労感です。
歯医者さんに
「痛かったら左手上げてね」って
言われるのだけど、
なかなか左手を上げる勇気がないです。
左手あげる勇気ないのに
「痛いぃ・・」
って声には出しました。
まだ虫歯との戦いは続きます。
憎っき
虫歯菌めっっ
歯医者さん 苦手です。
どうやって克服しようか。。。
ウン できそうにないです。
でも、チャント通うって今年の目標にしたので
行くのです。
今日も治療中ず---っと
手は グ- でした。
身体がカチンコチンになるので
治療終わりは疲労感です。
歯医者さんに
「痛かったら左手上げてね」って
言われるのだけど、
なかなか左手を上げる勇気がないです。
左手あげる勇気ないのに
「痛いぃ・・」
って声には出しました。
まだ虫歯との戦いは続きます。
憎っき
虫歯菌めっっ
雪だっ
改めて冬を感じます。
ふゆ 冬 フユ-
「10年」
昨日は、父の10回忌でした。
暗い話。
って思ったけど
やはり
この日を無視は出来なくって。
私と父は、なんとなく気軽に話せる間柄ではありませんでした。
昔から厳しい。。古風な九州の男です。
よく叱られたし、理不尽なこともしょっちゅうでした。
父が風邪をひいたら、
家族が、気を使い 病人のいる家って雰囲気になり
看病する。
だけど、私が風邪をひいたら、
「根性が怠けているからだっ」って言う父。
でも、それなりに感謝していました。
大学だった浪人してまで通わせてくれたし。
今、この道に進んでいるのも父のお陰です。
私の高校は2年生から
文系と理系のコ-スに分かれるシステムでした。
その頃の私は、勉強なんてほとんどしなく、
何も考えていませんでした。
そして、このコ-ス選択のときも
多くの子が進む文系に行くものだと思っていました。
母 『どっちのコ-スを選ぶの?』
私 『文系じゃない。みんなそうだし。』
母 『そうなのね。では、それをお父さんに伝えなさいね。』
私 『いやだよ。母さんから伝えといてよ-。』
-------父、帰宅-------
母 『anoは、そろそろコ-ス選択なのよね。どうするの?』
私 『文系にいくよ』
父 『なんで文系を選択するんだ?』
私 『なんとなく。。。そっちの方が多いし』
父 『ちゃんと自分の先の事を考えろ。なんとなくで決めた選択なんて認めない。
よく考えてから結論を出せ その後話せ。』
私 『・・・・・・』
そこから私は考えました。何がしたいのか。
何が出来そうなのか。
そして、将来的には技術を持ちたいと考え理系を選択しました。
結局、大学まで行きました。
高い授業料払ってもらったのに
身になったこともあったのか。。どうなのかな・・
でも、そこには大切な学生時代と素晴らしい出会いがありました。
いつか、私の結婚式で感謝の気持ちを伝えたかったな。
私もそんな日でないと素直になれなかっただろうし。
父が亡くなった病室。
私が誕生日に贈ったブラシ。
本読む時にかけてた眼鏡。
時計。。
写真。。
辛かった。
まさか父の骨をつつくとは
思っていませんでした。
癌にやられていたトコロの骨は
真っ黒でした。
父を苦しめた癌が憎くて
そこをつっつき砕き割りました。
私の携帯に入っていた
父の携帯番号。。
なかなか消せませんでした。
お父さん、ありがとう。
お父さんが居なければ確実に私は存在しませんでした。
恥じぬようって難しいけど
頑張って生きてきます---
改めて冬を感じます。
ふゆ 冬 フユ-
「10年」
昨日は、父の10回忌でした。
暗い話。
って思ったけど
やはり
この日を無視は出来なくって。
私と父は、なんとなく気軽に話せる間柄ではありませんでした。
昔から厳しい。。古風な九州の男です。
よく叱られたし、理不尽なこともしょっちゅうでした。
父が風邪をひいたら、
家族が、気を使い 病人のいる家って雰囲気になり
看病する。
だけど、私が風邪をひいたら、
「根性が怠けているからだっ」って言う父。
でも、それなりに感謝していました。
大学だった浪人してまで通わせてくれたし。
今、この道に進んでいるのも父のお陰です。
私の高校は2年生から
文系と理系のコ-スに分かれるシステムでした。
その頃の私は、勉強なんてほとんどしなく、
何も考えていませんでした。
そして、このコ-ス選択のときも
多くの子が進む文系に行くものだと思っていました。
母 『どっちのコ-スを選ぶの?』
私 『文系じゃない。みんなそうだし。』
母 『そうなのね。では、それをお父さんに伝えなさいね。』
私 『いやだよ。母さんから伝えといてよ-。』
-------父、帰宅-------
母 『anoは、そろそろコ-ス選択なのよね。どうするの?』
私 『文系にいくよ』
父 『なんで文系を選択するんだ?』
私 『なんとなく。。。そっちの方が多いし』
父 『ちゃんと自分の先の事を考えろ。なんとなくで決めた選択なんて認めない。
よく考えてから結論を出せ その後話せ。』
私 『・・・・・・』
そこから私は考えました。何がしたいのか。
何が出来そうなのか。
そして、将来的には技術を持ちたいと考え理系を選択しました。
結局、大学まで行きました。
高い授業料払ってもらったのに
身になったこともあったのか。。どうなのかな・・
でも、そこには大切な学生時代と素晴らしい出会いがありました。
いつか、私の結婚式で感謝の気持ちを伝えたかったな。
私もそんな日でないと素直になれなかっただろうし。
父が亡くなった病室。
私が誕生日に贈ったブラシ。
本読む時にかけてた眼鏡。
時計。。
写真。。
辛かった。
まさか父の骨をつつくとは
思っていませんでした。
癌にやられていたトコロの骨は
真っ黒でした。
父を苦しめた癌が憎くて
そこをつっつき砕き割りました。
私の携帯に入っていた
父の携帯番号。。
なかなか消せませんでした。
お父さん、ありがとう。
お父さんが居なければ確実に私は存在しませんでした。
恥じぬようって難しいけど
頑張って生きてきます---
あの部屋で寝ると
悪夢率が高い・・
昨晩も悪夢でした。
そしてちょっとリアルな悪夢。汗ビッショリ
起きてからからも、少しの間ボ--っとして
それが夢だったのかどうなのか
寝起きの働かない頭ではウロウロしちゃいます
そして、完全に起きて
夢だった ってわかると、
どちらかといえば
平日のケダルイ木曜の朝が
幸せな日常の朝に思えた--
自分の部屋にいることに
あれが夢だったことに感謝!
なにに感謝だい?って疑問だけど
アレ
私って幸せぢゃん。
現実って幸せかも。
いつもの平日。
いつもの朝。
いつもの自分。
平和だわ。
って悪夢のお陰で思えました。
夢って不思議-
そして思い出しました。
REM睡眠
Rapid Eye Movement
沢っ山 眼球動いてたんだろうな。
悪夢率が高い・・
昨晩も悪夢でした。
そしてちょっとリアルな悪夢。汗ビッショリ
起きてからからも、少しの間ボ--っとして
それが夢だったのかどうなのか
寝起きの働かない頭ではウロウロしちゃいます
そして、完全に起きて
夢だった ってわかると、
どちらかといえば
平日のケダルイ木曜の朝が
幸せな日常の朝に思えた--
自分の部屋にいることに
あれが夢だったことに感謝!
なにに感謝だい?って疑問だけど
アレ
私って幸せぢゃん。
現実って幸せかも。
いつもの平日。
いつもの朝。
いつもの自分。
平和だわ。
って悪夢のお陰で思えました。
夢って不思議-
そして思い出しました。
REM睡眠
Rapid Eye Movement
沢っ山 眼球動いてたんだろうな。
