ゲーテが死ぬ間際に『私の生涯に於ける光の時間は全部かき集めても一週間程だ』と言うを読んで、僕は驚愕したことをよく覚えている。
言うまでもなく、光の時間とは感動のことだ。
凄まじく膨大な時間である。
僕ら凡人が、生活を営むこと、これらの中で僕らの精神は常に分裂している。
所謂社会通念に都合良く合わせているだけなのだ。
が、何かに感動している時、僕らは、馬鹿は馬鹿なりに利口は利口なりに完全に一つとなる。
此処に一切、神も魂をも存在している。
では、こんな話をしよう。
僕が十歳の時に最愛の祖母が他界した。
祖母は常々痛風を患っており、よく痛い身体を一握りの蝋石でさすっていた。
祖母が死んだのは、夏の昼間だった。
僕は祖母の死を悲しみ、祖母が死ぬ間際まで握っていた蝋石を自分も握ってみた。
ややあって、身体中が熱くなるような不思議な感覚に包まれ、そのまま玄関を飛び出し外に出た。
空を見上げると、真昼の澄み渡った天空に満天の星が見えた。
少年の不思議な体験、僕はその時祖母の魂をまざまざと観たのだ。
僕は安っぽい感情に流されて涙するそれを感動とは呼ばない。
そして分頭に戻ろう。
神も魂も一切は感動の刹那に存在する。
違いない。