朝ごはんはパンじゃないと目がさめないし、一日中落ち着かない。お腹の調子までおかしくなるくらいだ。
日本でまる15年暮らしていて、大体のことは慣れたけれど、朝ごはんはご飯と焼き魚と味噌汁だと、気持ちがブルーになって、涙が出そうになる。
生まれ育ったのが中国大陸の奥にある青海チベット高原。小さい頃、お米のごはんを食べるのが、週に一回程度だった。日曜日の夜ご飯に決まっていた。普段は、釜焼きパン見たいな皮の厚いパン、蒸しパン、麺類が主食だった。
この季節の朝は、 湿った練炭が燃えているときの匂いの中で目が覚め、おばあちゃんが台所でパンを焼く準備をしている音が聞こえる。それは手動の送風機を引いている「クーター、クーター」という音と、パンの生地を丸く、少し平たく伸ばすとき、麺棒が時々に麺台にぶつかる音だ。
やがて家中に、小麦が焼きあがった香りになる。そしてたまに、ストーブの上で沸騰いたミルクティーがこぼれて牛乳が焦げた匂い。そしておばあちゃんが私たちを起こしに来るのだ。
渋々と起きる。綿入りの服の袖に腕を通す。その冷たさで、ぼうとしている頭が一気に冴える。食卓の前に座ると、目の前にうっすらと白い湯気の中で釜焼きパンとミルクティーが置いてある。
釜焼きパンと言っても、丸いドームの形をした西洋式の釜ではない。日本の「釜」に近いもので、形は中華鍋とおなじだ。かまどに座っている鉄の釜だ。一晩寝かせて発酵させたパンの生地を丸く少し平たくして釜に入れて蓋をする。時々回しながら、練炭の弱火で30分くらい焼く。焼きあがったパンは、釜いっぱい膨らんでいて、UFOみたいに真ん中が厚くて、周りが薄い形をしている。表面はこんがりと焼けて、指でたたくと「コンコン」と音がする。おばあちゃんは大きな中華包丁でパンを二つに分ける。それから半円のパンを端から3センチの分厚いスライスにする。私たちが手にして齧りつくのが、Uの形の食パンだ。Uの線の部分はその香ばしくて、カリカリ、サクサクした歯触りの皮、Uの中の空間は、真っ白のふわふわの柔らかい部分だ。味は、少しばかり塩が入った、プレーンのものが多かった。
ミルクティーは多くの日本人のお馴染みのいわゆるミルクティーではない。一番ちがうのは、砂糖を入れない、塩を入れるのだ。茶葉は全発酵の黒茶で、A4サイズで厚さが4センチくらいのブロックに固められている。お茶を極濃くに出して、牛乳を入れて沸かす。おばあちゃんは、よく山椒や、ハーブのタイム(ふるさとの言葉で「地椒」と言う)を、塩の後にひとつまみいれていた。
精製されていないバターも入れるのだ。それが蘇油(スーユー)と言うのだ。
このミルクティーはチベット人、モンゴル人、ウェーグル人などの遊牧民族の共通の日常飲料だ。私のふるさとは青海チベット高原の東にある農業区にある西寧市だけれど、ライフスタイルはチベット人の影響を受けている。
このパンとこのミルクティーだけのシンプルの朝ごはん。
日本で暮らしている毎日、ホームベーカリーで、アッサム紅茶と雪印のバターで、GABANの瓶入りタイムで、似て非なり「ふるさと朝ご飯」いい加減に再現している。日本人の主人と子供たちにお米のごはんを支度しても、自分は別個にパンの朝ごはん。
パンが切れる朝だけに、ホームシックをする私に、「ママは中国人だからね」と子供達が言う。
いや、ちょっとちがうような気がする。中国人だからというよりも、小麦食の人種だからね。日本のお米も大好きで毎日美味しくいただいているけれど、朝ごはんだけは、パンにさせておくれ~~~
