●先生。最近、西ヨーロッパの話ばっかりですけど、東ヨーロッパはどうなったんですか?
○よし!じゃあ今日は、395年にローマが東西に分裂してからの東ローマの話をしていこう!ただ、都がローマにあるわけでもないのに東ローマ帝国というのはおかしいよね。そこで、ビザンツ帝国と呼ぶのが一般的です!
●どうして、ビザンツなんですか?
○それは、首都がコンスタンティノープルにあったから!ここはもともと、ギリシアの植民市のビザンティオン!ローマ時代には、コンスタンティヌス帝によって改称されるまでは、ラテン語でビザンティウムと呼ばれていた。だからビザンツ帝国ね!
●なるほど!
○さて、ユスティニアヌス帝[位527~565]はかつてのローマ帝国の復活を目指し、ゲルマン人に奪われた地中海沿岸地域を奪回します!534年には北アフリカのヴァンダル王国を、555年にはイタリアの東ゴート王国を征服!
●ビザンツ帝国の最大版図ですね!
○さらに法学者トリボ二アヌスに命じてローマ法を集大成した『ローマ法大全』を編纂させたことも有名!あと、ハギア゠ソフィア大聖堂を改築したのも、このユスティニアヌス帝の時代。あと、中国から養蚕業を導入しました。蚕が作ってくれるのは絹ね。しかし、彼の死後ササン朝ペルシアの侵攻が激しくなり、エジプトやシリアを失って、領土は縮小します。
●ササン朝ペルシアって懐かしいですね。ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの抗争が、イスラーム成立の背景にあるんでしたよね。
○そう!紛争を避ける過程でアラビア半島のヒジャーズ地方が繁栄するんです。さて、ギリシア語をビザンツ帝国の公用語としたヘラクレイオス1世[位610~641]の時代、イスラーム勢力が急速に領土を拡大してくる中で、イスラームとの戦争のための新しい制度が生まれます!それが軍管区制と屯田兵制。軍管区制はテマ制ともいい、地方の軍司令官に行政権も与える制度です。
●まさに臨戦態勢ですね!
○その地方軍の兵士は、普段は農民です。農民たちは租税を免除される代わりに戦争になったら武器を自弁して戦わなければならない!もし、負けて領土を奪われれば、自分たちの土地を失っちゃって食べ物が作らなくなっちゃうわけですから、農民も必死になって戦う。これが屯田兵制です。
●まさに兵農一致ですね!
○ここで宗教についてみておこう!ビザンツ帝国は、皇帝教皇主義。皇帝がキリスト教会のトップなんですよ。ビザンツ帝国は常にイスラーム勢力と国境を接して争っているので、宗教面でも対抗心旺盛。イスラームとの関係で皇帝レオン3世[位717~741]が726年に出したのが聖像禁止令ね。皇帝教皇主義に不満を持つ修道院勢力を抑え込む目的がありました。
●あずま君がキョーコをスタバに呼び出して言ったあれですね!
○そうそう。この聖像禁止令がローマ教会とコンスタンティノープル教会の対立を生むことになる…って話はもういいかな?ローマ帝国時代に各地に五本山と呼ばれる大きな教会ができるんだけど、ローマ教会もコンスタンティノープル教会もそのうちの1つで、以前から高い権威をもって張り合っていた。ローマ教会は西ローマ帝国が滅んだ後、ビザンツ帝国と協力関係にあるんだけど、イタリア半島は既にビザンツ帝国の領土じゃないから、実際にはビザンツは頼りにならない。そこで、キョーコは生き延びるためゲルマン人に一所懸命布教をして、教会の存続をはかっていたんです。で、キョーコはゲルマン人に布教する時に聖像を使っていた。わかりやすいからね。だから、キョーコにとって聖像を使用できなくなるというのは死活問題です。そこで、キョーコはあずま君の方針に反対する。もともと、キョーコは皇帝教皇主義にも不満があったから、こうして両者はケンカ別れとなる。やがてローマ教会はローマ゠カトリック、コンスタンティノープル教会はギリシア正教と呼ばれるようになります。両教会の分裂の背景という意味で、聖像禁止令は重要なんです。
●めっちゃ喋りますね。ようは、726年の聖像禁止令をきっかけに、1054年の東西教会の分裂が起こったというわけですね。
○そういうこと!さて、ビザンツ帝国はバシレイオス1世[位867~886]の時代にマケドニア朝が始まり、帝国の繁栄を迎えます。これはコンスタンティノープルの立地が、商業上の利益をもたらしたから。バシレイオス2世[位976~1025]の時には、皇帝の妹がキエフ公ウラディミル1世のもとへ嫁いだことで、ロシアへギリシア正教が伝播しました!これ、意外と重要ね。
☆センターチャレンジ
ユスティニアヌスについて述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[09 本試]
① 聖ソフィア(ハギア=ソフィア)聖堂を建設した。
② 北アフリカのヴァンダル王国を滅ぼした。
③ イタリア半島の領土をすべて失った。
④ 『ローマ法大全』を編纂させた。
正解は
③