中学生の頃、私は歳相応にひねた女の子で御座いました。
余り自己肯定感を得られなかったからか
自分に自信も無いけれど、勉強だけはするので成績だけは良い。
ちょっと幼稚だけれど、勉強は出来る。
そんなイメージをもっていただければ、その通り子供の頃の私になると思います。
そのような子供でしたので
友達は居て、毎日楽しく過ごしているのにもかかわらず
生きることに余り意味を見出せず
ひねくれたことばかり口にしていたと思います。
そんなある日、年賀状を親しい人に書きました。
当時の私としては、不思議に思ったことをそのまま書いただけだとは思うのですが
今思えば、年賀状には全くふさわしくないことを書きました。
「あけまして、おめでとうございます。
おめでたい、おめでたいっていうけれど、一体何がめでたいんだろうね?」
うーん、中学生でもこれは失礼な一文。
自分の感性を疑います。
けれど、友人は丁寧にこう返してくれました
「これは私の考えなんだけど
無事に一年過ごせてまたお正月を迎えられた、っていうことは
おめでたいことなんじゃないかな。」
お正月は一つの節目。
その節目に、自分や相手が生きていることに対しての「めでたい。」
今も覚えている位ですから、当時の自分はひどく納得したのだと思います。
今では、そんなに疑問に思うことなく「おめでとう」という言葉を口にします。
その言葉の奥で、友人の「無事に一年過ごせて」が眠っているからだと思います。
皆様、良いお年を。