自分は幸い今まで経験したことがないが、カミングアウトをした後に、興味本位でゲイがどういうものなのかを聞いてくる人がいるらしい。

興味があるか、興味本位なのかは、月とすっぽんくらいの違いがある。
前者は、純粋に「ゲイの人たちってどうなの?」と疑問を持っていること。
後者は、「ゲイって面白そう! 友達に言いふらしたいから教えてー」という態度を持っていること。

ゲイに興味を持っている人には自分の知っている限りのゲイに関する情報を教えるが、興味本位で聞いてくる人には何も教えたくない。

前者が学者的な純粋な興味を持っているのに対して、後者は簡単に言うと、下品な週刊誌の記者と同じような思考を持っている。インタビューを受ける側の面白いことを知って、他人を喜ばせようとしている。そういう人に対して、「ゲイは見世物ではない」と怒りを感じる一方で、「この人は自分に面白い点が一つもないのだなあ」と思ってしまう。

そのような興味と興味本位を見分けることは実は結構簡単で、後者のような形でゲイを知りたがっている人は、ふだんから偏見に満ち溢れている。それ以外の人を「興味を持っている人」と考えて良いだろう。

その区別をするのは簡単なのだが、逆に前者だと思っていた人が、実は「そういうのはちょっと」という偏見を持っていたりする。

それ故に、年を重ねるほどに、この人は本質的に偏見を持っているか否かということを直観でわかるようになってくる。

しかし、それはあくまで直観であって、完全に信じられるものではない。
だから、よっぽどこの人は大丈夫だな、と思う人以外にカミングアウトをするのは、めったにないことである。

しかし不思議なことに、大して仲良くない相手でも、この人は大丈夫だよという直観を頼りにいきおいでカミングアウトをすると、成功することが多い。つまり、その後その人との関係が上手くいって、良き相談相手になることが多いのである。

結局自分の直観だよりのカミングアウトなのだが、科学的には照明できないであろうこの類の直観が意外と頼りになるのである、

いずれにせよ、カミングアウトは面倒くさい。
マイノリティの真の生きづらさは、社会的な保障や契約というよりは、そういう精神的な面が大きいのだと感じる今日この頃である。