作 家 よ し も と ば な な さ ん が 、
地中海の島の名を冠したイタリアの文化賞 「 カプリ賞 」 に 選ばれた。
7月初旬にカプリ島で開かれる授賞式には よしもとさんが 出席予定。
東日本大震災後 に
作 家 ら が つくった 「 復 興 書 店 」 に 寄せた短編を 朗読するという。
同賞は 1987年 に 創設。
ノーベル 文学賞 受賞者 の デレク・ウォルコット など
詩人を 中心に 作家、 歴史家 などが 受賞 している。
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ば ら の 花
3月なのに、東京は信じられないくらい寒かった。
雪がふりそう。息が家の中でも白い。
停電になることを想定して、ほとんど暖房もつけず、
電気も消して過ごしていた。
地震がまだくるかもしれないからろうそくをつけられない。
小さなランプをつけて、家の中でもコートを着ていた。
昼なのにかなり暗かった。
もっともっと寒い地域で家をなくした人たちの
ことをしょっちゅう思うけど、自分の知り合いでない人のことを
思いすぎるのはなんとなくいけない気がした。
自分の思える人のことを精一杯思うしかないと
いつでも思ってるから。
それぞれに分け持っている分量があるように思う。
その人にとっての縁というものがあるように思う。
縁がくればためらいなくさっと動き、そうでないときは
よけいなことを考えない。
でも、たくさんの人の人生が急に終わったことには
ものすごい衝撃を受けていた。
衝撃のあまりにかえって心が静かになって、
鎮魂のお祈りをしながら、ただじっと水の底から見上げる
みたいに冷たい窓の外を見上げたら、
小さなばらが窓辺の鉢で真っ赤にひとつ咲いていた。
たったひとつ、異様に赤く、工場が動いていないせいで
澄んだ空によく映えていた。
花粉があろうと、黄砂にまみれようと、
さらには放射性物質にさらされていようと、
咲く日に咲いてる。生きてるうちはみんな生きている。
先月死んだ犬のことを思う。地震が嫌いだったから、
今生きていなくてよかったのかもしれない。
死ぬのは一回きりなのに、なんでいろんな形があり、
いろんな人がいろんなことを思うようにできているのだろう。
犬のことではほとんど泣かなかったのに、
なんていうことない映画の中に、死んだ犬を旅行に連れていくと
遺体を持って歩いてる男の子が出てきたら、涙が止まらなくなった。
男の子は言った。
「だめだ、生き返らない、ますます固くなってきた」
そうだね、ほんとにそうだった。
私にはまだ命があり、愛する人たちのまだあたたかく
柔らかい体に触ることができる。
電気のほとんどないうす暗がりで、遅い午後に、不安だった
近所のみんなで集まって羊の炒めたのと、
パンとバターを食べた。
バターは買い占めで売ってないって言ったらともだちの
はっちゃんが「実は家に六個あるんだ、バターが好きで」と
ちょっと恥ずかしそうに言いながら持ってきたものだった。
みんなではっちゃんの買いだめに感謝しながら、
思い切りぬって食べた。
スーパーになんにも売っていなかったから、
ワインとハムとおせんべいを買ってきたのも出した。
なんとなく、暗い中で、
みんなで手をつないでいるようなごはんだった。
あれから、愛する人たちに心で手で目で触れることが、
少しこわくなった。
行ってらっしゃいと別れるのが、じゃあまたね、
と手を振るのが、ハグするのが少しだけこわい。
でも、一生直らなくていい。
私は元の生活になんか戻りたくない。
この経験をした自分のままでいい。こわいままでいい。
ばらの花を見ていたら、ばらの花という歌を
いつのまにか口ずさんでいた。
安心な僕らは旅にでようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ ♫
今にいちばん合わない歌詞なのに、
心にちょっとだけ自由な風が入ってきた。
祈りは歌に変わり、空にとけていく。
そのくらいでいい、へなちょこなくらいで。
またみんなで笑いながらパンにバターを
ぬりたいなっていうくらいの理由で、生きていたって。
よ し も と ば な な
1964年、 東京生まれ。
日本大学芸術学部文藝学科卒業。
87年「キッチン」で 第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。
著作は 30か国以上で 翻訳 出版 されている。