ラジオやテレビの映像や語り口を身体が受け付けなくなった。昨日は、CDでクラシックや古いモダンジャズを聞いて過ごした。
火曜日の朝は、東京は雨が降っている。
地下鉄の中でヘラルド・トリビューンを読んだ。
ドイツが一種の原子力パニックに陥っていて、国民の70%が原子力電力をやめてくれるのだったら月28ドル程度の追加負担は厭わないというようなアンケート結果も出ているようだ。86年のチェルノブイリの影響もあるのかも知れないが、ドイツの核アレルギーというのは相当強いようだ。
ドイツの原子力発電依存度は全体の25%。フランスは75%以上、スロバキアが53%。ウクライナが48%。
(Judy Dempsey For Merkel, a sudden atomic shift)
今回の日本の地震は、日本一国にとどまらぬグローバル経済の脆弱さをつくことになるという経済記事。中東の産油国における政治的騒乱、米国不況の高まり、ギリシア、ポルトガル、アイルランドなどの海外債務のデフォルトのリスクの高まりなど、そこら中に、時限爆弾は埋まっていたというトーン。
ただ、世銀は、日本の復興景気のようなものを予想しているようだ。
(Michale Powell Accumulation of crises is clouding the outlook for economies worldwide)
オピニオンのページには、James Carrollが「我が沈黙の春」というRachel Carsonの1962年の古典「沈黙の春」を引いて、人間の自然に対する過信のようなものについてのエッセイを載せている。
この10日ばかりの間に起こったことの中で、東京に住んでいて比較的無傷な自分でさえ、精神的に変調を来している。
こういう時は、まず、現実、自分の目の前を直視することだ。そこからしか物事は始まらない。