『やったことがないから』
先日、教室のすぐ近くで火災が起こりました。
辺りは、騒然としましたが、すぐに消し止められ、けが人もいなかったのが不幸中の幸い。
そんな身近に起きた出来事から、普段通りの「日常」を過ごせるのは幸せなことなのだと、忘れかけていたことに気付かせてもらいました。
実は、今年の1月からオンラインで大学院の講座を受けているのですが、
身の回りに災害やトラブルが起こって日常が無くなれば、勉強どころではありません。
子どもの頃や学生の頃には感じなかったことですが、『学べる』のは、ありがたいことで、贅沢なものなのだと思いました。
さて、皆さんは子どもに「何で勉強するの?しなきゃいけないの?」と聞かれたら何と答えますか?
親でない私でさえ、ホエールに来てくれている子ども達には「体操が少しでも上手になって欲しいし、たくさん学んで、色んなことができるようになって欲しい」と思っています。
私が子どもの頃、「なぜ学ぶの?学ばなきゃいけないの?」という質問に対して、「将来の為」と言われて、全然納得できなかったのを覚えています。
いい学校
良い環境
将来の選択肢が広がる
理屈はわかるけど、具体的なイメージを持てず、やる気にはなれませんでした。
ただ、大人になって「学びたい」と思うようになり、「将来の為」が具体的に分かるようになりました。
英語を学ぶと英語ができるようになるし、算数の勉強をすると計算ができるようになる。
学ぶことで(練習することで)、できることが増えていきます。
ゲームやアニメで例えるなら、出せる技が増える感覚でしょうか。
技が1つしか出せないキャラと、技が10種類出せるキャラでは、10種類出せる方が強いものです。
料理が上手になるには、たくさん料理をして経験がが必要。
体操で○○ができるようになりたい!と思えば練習(経験)が必要。
今、受けている大学院の講座は自己嫌悪に陥るぐらい、できないことがたくさんあります。
参考書や、講師の説明を見聞きすると納得できるし、理解できるけれど、自分では全くできない。
肉じゃがで言うと、食べたことあるし、美味しいかどうかは分かるけれど、自分では作れない。
と言った感じです。
要は、今までやってこなかった事はできない。
私にはたくさんのできないことがあります。
きっと、誰にでもあるはずです。
講座を受ける中で、できない経験をして、苦手だからできないのではなく、今まで、やってこなかったからできないのだと分かりました。
だからこそ、こう言うこともできます。
「やったらできる」
それに関連して、もう一つ。
面白いことに私たちは、どうやら「やりたいこと」以外はできないようになっているようです。
数回は無理すれば、できるかもしれませんが、すぐにやらなくなってしまいます。
筋トレやダイエットが良い例で、その時の関心度の高い方を選択してしまいます。
つまり、本当にやりたいことしかできないのです。
時々、「特にやりたいことが無いのですが…」と言われるのですが、答えは簡単で、今やっていることが、その人のやりたいこと。
何もしないも「やりたいこと」だし、嫌だなと思いながらやってることも背景には色々あるにせよ、やりたいことなのです。
さて、だいぶ話が脱線しましたが、なぜ学ぶのか?
あくまでも私の考えですが、それは「将来、やりたいことをする為」です。
私には自分でも整理がつかないぐらい、やりたいことがあります。
それらを為すには、学ぶ必要があるのです。
そんな、私のやりたい事とは、「関わる人の役に立つこと」
かなり、抽象的ですが、先月のコラムにも書いたように、人にいい影響を与えられる存在でありたいなと思っています。
その為には、知識も実力も必要。
だから、技を増やすべく学んでいます。
何もできなかった私が、少しずつ何かできるようになっていく過程を見て、「あ、やったら、できるようになるんだ」と思ってもらいたい気持ちもあります。
まだ、何もできない私ですが、いつか皆さんの役に立てることを目標に頑張ろうと思っています。
そのように思えるのは、関わってくださる皆様のおかげ。
いつもありがとうございます。
舟木将人