大神神社さんとも、
大三輪神社さんとも云われ、
三輪山さんとも呼ばれ、
いずれも、「ミワ」という音で表現されています。
「三輪」、「ミワ」という呼名の由来は諸説あるようですが、
個人的には、
「三和→ミワ」から来ているのではないかな?
という感覚が強いです。
日本の古代史が語られるとき、
「出雲族」、「天孫族」という二つの大勢力の存在は欠かせませんが、
忘れてはいけないのが、
もっともっとずっと昔から暮らしていたであろう原住民族
「縄文人」の存在があります。
超古代から巨石信仰、太陽信仰をもって、三輪山周辺に住んでいた「1.縄文人」のところに、
いつの日か、「2.出雲族」がやってきて、平和的な融合を経て暮らしていると、
さらにいつの日か、「3.天孫族」が襲来してきた。
この三民族が、
『和平条約』のような協定を結んだ場所?その象徴として、
『三つの和』、『ミワ』、『三和』
としたのでは?
と思えてならないのです(`´)
『平和協定』の存在は、
司馬さんの本、司馬遼太郎『歴史の中の日本』
でも明らかにされていることもあり、真実味はあるのではないかと思われます。
その上、
三輪山には、「元伊勢」といわれる、檜原神社もあり、
天孫族でさえ、三輪山を原点としている痕跡がある。
実際、
訪れたことがある方、
御山の山頂まで御参りに行った方は、概ね肌感で、共感して頂けるのではないかと思うのですが、
ご神体である御山は、
宇宙とダイレクトに繋がっているような所で、
とても「●●ノミコト」という系の矮小な括りに分類されるような類の存在ではないのです。
やはり出雲族がくるずっと以前から、
縄文の人によってお祀りされてた、原始信仰の姿を今も拝みに行けるとは、
本当に貴重な場所ですね(^.^)/~~~
ありがたし!