※以下2023年1月移動記事

 

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お盆に父がそっとくれた8/12付の朝日新聞の切り抜き(画像)。

だまってうなずく父。

見ると、かの「ムー」5代目編集長・三上丈晴氏のインタビュー記事である。

 

 

ムーとは「あやしさの一貫性」という意味で、他の追随を許さぬ名誌。1980年生まれの私にとって1979年創刊の学研ムーは、人生の友と言っても過言では無い。

 

ムーが扱いそうなテーマを「ムー的」と形容し、ムー読者を略して「ムー民」と呼ぶ。この「ムー民」も「今ではすっかり市民権を得て」「幅広い層に支持されている」。誠にそのとおりである。ちなみに、ネット情報によれば、ムー民の支持層というのは50~60代の男性中心だそう。貴方の回りのおじさん達も裏の顔は皆ムー民で間違いない。

 

しかしこの記事、隅から隅までよく書けているし、三上氏も『分かっている』(後述)。

 

ムー40年史を見た時にも悟ったが、この雑誌は「まったく変化していない」。

 

アネモネやスターピープルその他、高次元系の爽やかスピ雑誌がいくら登場しようとも、いくら社会のスピ文化が成熟しようとも、ひたすら「あやしく!おどろおどろしく!まるで今初めて発見されたかのように!」半世紀以上も前の事件をセンセーショナルに「何度も、執拗に」蒸し返すムー。

 

しかし、取ってつけたようなこのあやしさで人々を魅惑しつつ、真に世に知らしめるべき情報を一貫して発信してきたその功績はもっと評価されるべきである。

 

コロナ禍を一つのきっかけに、より多くの人が見聞きすることとなった「陰謀論」とレッテルされるような事物(これは『論』など生優しいものでは全く無く、むしろ切実な人類の課題なのである)を、30年以上も昔から一貫して正々堂々と発信してきた雑誌が他にあるであろうか。この雑誌の真価を社会は過小評価し過ぎてきたのであり、しかしそんなことには1ミリもめげることなく、ひたすら我が道を走り続けてゆくムーは正に称賛に値する。

 

大切なこと、自分が信じていることを人に伝えたい時、どうするか。「まあ殆どくだらないんだけど、その中に掃き溜めに鶴のような本物情報がたまにはあるんだよ。」私はムーを人に紹介する時、そういう言い方をする。三上氏が採用している作戦はまさにこれなのである。表向きは「ネタはとっくに尽きている。99%あり得ないが、1%の中庸が肝要」。

 

私には分かる。これは99%あり得ないとはカケラ程にも思っていない者のセリフなのだと。しかしと言って、ムーの各記事が穴だらけの欠陥だらけであることもよく分かっているのだ。ムー記事にクリティカルヒットはまず無い。しかしそうした玉石混交の雑記事の中からダイヤモンドを発見(あるんですよ)することがムー民の楽しみなのであり、つまり読む者の度量が試される雑誌、それがムーであるとも言える。

 

三上氏の真のメッセージは行間にこそあるのである。正にムーのスタンス、真髄をよくよく心得た、ムーの編集長になるために生まれて来た方である。

 

…昭和的センス、読みにくい文章、あやしすぎるゲストたち。そして『スーパーミステリーマガジン』の名に恥じない、隅々まで抜かりのない果てしのないあやしさ!旧・学研ムー、現・月刊ムーよ永遠に。