後半第2回終了時の感想・質問から、いくつか紹介します。
第2回は、認知科学の話でした。
いつもならいくつかの感想・質問を紹介するのですが、今回はひとつだけ紹介してみます。
非常に教育の核心をついた質問でした。
〇授業も、担当する先生の認知によって行われるとすれば、授業にも歪みがあるのか。
高等学校までは、しっかりした指導要領があって、そこから逸脱しないように決められているため、教師ごとの”歪み”が入る余地は、わりと少ないかもしれません(あくまでも教科教育という点で。生活指導などはまた話は異なります)。しかし大学になると「この教科をこう教えなさい」という縛りは、ほとんどないと言って良く、先生方はその先生方の(専門的・社会的)認知に基づいて授業を組み立て、実施します。こう考えると、大学の授業は非常にいい加減なものに思えるときもありますね。
しかし、実は、大学というところは、小中高のような”縛り”がないことが最も大切です。
最先端の研究活動をしている研究者は、その学問分野に一体何を見るでしょうか?そこには、その研究者が認知した学術の世界が広がっているわけです。
ちょっと緩めの例を考えてみましょう。
三浦知良・中田英寿・本田圭佑の三名が、サッカーの授業を担当したら、彼らはどんな授業をするでしょうか?必ず、授業では彼らなりのサッカー哲学を語るはずです。これは文科省の指導要領に基づいた教科教育にはない視点なので、小中高では正規授業以外の講演などでしか聴けないことですが、大学の授業では、こういう”私はこう思う”、特に”でも私はこう思う”を、しっかりした学問の背景を講義した中で、語れるし、それをしっかり後世に伝えていくのが、大学の場なのだと思います。
したがって、大学の授業には、講師の語りにしっかりとした主張があって、学生にはその手ごたえを感じて欲しい、私はそう強く思います。
すなわち、先生の”認知の歪み”は、その先生そのものであり、これを出してこそ、大学の授業であると。
そして、学生のみなさんは、そういったその先生の想いや考えについて、大いに疑問をもって、懐疑的に授業を受けることが、最も大切であると思います。
学問には、正解はありません。
東海大学創始者の言葉「若き日に汝の思想を培え」は、教師自体が自分の哲学を熱く語ってその姿を学生に見てもらうことでこそ、伝わるものだという信念をもっています。
全ての授業で、大いに疑問をもち、たくさん考え、調べて、自分の世界を培ってください!
履修者のみなさん、研究室や相談室で大いに話しましょう! 待ってます!