勉強は数学と化学。


昨日から今日にかけて、大阪市長の橋下さんと週刊朝日についての報道が、テレビでよくされていますねぇ。


私は週刊朝日の記事をまだ見ていませんので、なんとも言えませんが、「被差別部落を差別する内容だ」という橋下さんの主張とマスコミが説明する週刊朝日記事の内容から考えて、


橋下大阪市長は被差別部落出身だから卑しい、


と週刊朝日に書かれていた、ということですよね。


だとしたら、それは間違っていると思います。



でも、そんな風に書かれていなかったとしたら、自体は大きく異なると思います。



週刊朝日の橋下さん批判記事が、橋下さんの出身は被差別部落である、と書かれていただけで、彼への批判が他ごとに基づいてなされていたとしたら、橋下さんはただ自分への批判にムカついて論点をすりかえて攻撃している、ということになるでしょうから。


そりゃもちろん、揶揄、ということを言う人もいるでしょうが、例えばもし有名清純派女優の父親が東電の幹部だったら、きっと「あの清純派女優、東電幹部の父!」と週刊誌に書かれるでしょう。

それを東電への差別、と思ったりしません。

「あの清純派女優の父親は東電幹部だから、人間性に疑問のある女優である」などと書かれていたら、これは差別記事です。

でも、「あの清純派女優、東電幹部の父!」と書かれているのなら、それは差別ではありません。真実を言っているだけ。もちろん、その背後に人々の東電に対するイメージがあるからこそ、記事になるわけですが、でも、差別記事では、ない。


そしてもし、その清純派女優が、そのただ真実を暴露した記事に対して「こんな書き方は、東電幹部差別だ!」と息巻いたら、どうなんだろう。

私はその女優に対してどう感じるのでしょうか。


もし彼女が、「私の父は東電幹部ですが、迷惑をかけた人に少しでも報いれるように、今 全力で仕事に取り組んでおります。」と言ったなら・・・

私はきっと、ちゃんと自分の家族のことを受け止めてる人なんだな、と思うかなぁと思います。



とにもかくにも、週刊朝日の記事で、橋下さんが部落出身であることが一体どう書かれているか、読んでいないので結論が言えないのが悔しいわ。



逆に、読んでもいないのに、週刊朝日はひどい、とも、橋下は狭量だ、とも言えないわね。