連休も終わり、9月もあと一週間。
10日から友達の卒業制作の現場に演出部として参加している。
今月頭にインしたこの作品も明後日の成田空港ロケでクランクアップの時を迎える。
参加のきっかけは極めて偶然だった。たまたま出会った友達が手伝っている現場に人手が欲しいんだが参加してみないか?
俺は右手を挙げた。やるよ、暇だし。こうして、たわいもない日常は少し慌ただしさを増した。
現場では主にカチンコと機材運搬、状況伝達のための声だしをやる。
久々に打つカチンコの乾いた音に心地よさを感じながら、自主映画とは言え、劇映画の撮影のような周囲の職人ぶりに一瞬で真剣にやろうという心構えができあがる。
この組では、平均して一日に5、6カットを撮る。所沢ロケでは10カットを越えたが、それにしても、ワンカットに対する気合いの入れようはすごいのだ。
劇映画だったら俺たちより洗練されたプロ集団がやるからセッティングにかける時間が大幅に短縮されるだろうが、探り探りの撮影であることも確かで、こだわり始めるときりがない映画の世界の末端にふれた思いがした。
主演は劇団に所属し、制作も担当する立場にあり、若手の育成や海外のマエストロとも交流があるベテランの役者さんだ。つい先日、オールアップを迎えたが、セッティングに時間のかかる現場をよく堪えて気持ちを繋いでくださった。
声をかけてくれた制作の友達と助監督の一人、照明部の一人としか面識がなかったものの、初日から若干出しゃばり気味で動いていたら自然と仲良くなっていた。今では現場がアップすることが早くも名残惜しい。
最初は誰この人?みたいな印象を与えたかもしれない。なんせ途中参加なんだ。でも、日を追うごとに皆が俺の存在を受け止めてくれる。次第にお待ちくださいという声に各部が応答してくれるようになった。
監督は女だが基本的におっけえを出すのが早い人で、声がかわいい。
俺は何度も声でかすぎて少し音量を押さえてと注意されることが多くて、それもどこかで自分が監督をするなら声は通る方がいいだろうという漠然とした職業意識が影響しているのだろうが、まず、目立つことが鍵になる場合もあるだろうし、声に苦労しない分、客観的にみて、今自分ができることは何か考えて動くことが昔よりはスムーズにできるようになった気がする。
何かに手がいっぱいで声を出すことを忘れている瞬間。ふと周りを見ると、会話に詰まったあのときのように、何か円滑さに欠けている雰囲気に晒される。
たとえば照明のセッティング中に音声さんは待ちぼうけを食らうが、そこで状況を伝え、近くにいても照明→音声という直接のやりとりではなく、照明→助監督→音声というように通訳のような人間が声を出し、現場全体を一部から全体的な志向性に持っていくという役割が必要になる。
野球チームにおいて、監督の指示が直接選手全員に伝えられることもあるが、間にキャプテンが入ることもあり得る。ようは助監督はある種キャプテンのような存在でなければならない。皆の気持ちを盛り上げて、どうにかいいカットを撮って帰ろうと背中を押すのだ。
まあ、結局技術面でノウハウのない演出部はホームランバッターにはなれない。ピッチャーにもなれない。セカンドに強烈な当たりが飛んだときに、すかさずカバーに入るライトのような存在だ。なかなか周りにアピールできない。でも、気持ちは気を抜かない。見えないところで、画に加担している。
きれいごとを書きすぎだが、思い上がりもいいとこだと言わせるほど、仕切りたい人が、助監督には向いている気がする。俺はと言うと、仕切っているように見られることに妙な抵抗を感じつつも、思い切ってやっている。