これは徳川吉宗の聯爪よ江汗中村座の歌舞伎役者佐野川市松戸『沁中万年草』の中ミ小姓粂之助に扮したときに、紺と白と打ち違えに碁盤縞を並べた模様を袴に用いたところから、その役者の名前をとって、「市松模様」または「市松格子」と呼ばれたものです。
佐野川市松は非常に美貌の役者であったために、この柄はゆかたや帯に取り入れられて、女性のあいだで大いに流行したといわれています。
ところで、このように歌舞伎役者が、自分をひきたたせるために、苦心してこしらえた着物の柄を、自分のゆかたの柄に染めたりすることが、江戸時代には盛んに流行しました。
たとえば、自分の好きな役者が演じた役に惚れると、その役者が着ていた衣装の柄をひそかに染めさせ、自分もその役者になったような気分で町を閥歩したのです。
すると、それを見た他の連中は、負けてはならにと他の役柄の模様を染めて、互いのひいき役者のゆかたを着て、その模様を競ったのです。
こうして、町人のあいだでは、やや過熱気味ともいえるゆかた柄競争が起こったのでした。
この「市松模様」もそうした競争の中から生まれたものの一つです。
ところで本家の役者連中も、ひいき筋に配る手ぬぐい、楽屋用のゆかた、または新しい役の衣装考案と、センスを競いあったものです。こうして残されたのがいわゆる「歌舞伎柄」と呼ばれるゆかた柄です。
代表的なものに、一世を風扉した市川団十郎の定紋であった「三枡」、四代目松本幸四郎が幡随院長兵衛の役のときに着た、太い縞と細い縞を交互に使った格子縞の「高麗屋縞」、三代目菊五郎が創案したという四本縞と五本縞の間に「キ」と「呂」の文字を配した「菊五郎格子」などがあります。
「菊五郎格子」は、四本と五木を加えて九と考えて、それらの中に「キクゴロ」の名をわからせるようになっています。
もともとゆかた柄であったこうした歌舞伎柄は、洋服の分野にも、あるいは力-テンなどのインテリア分野にも、斬新なデザインとして、昨今でも重宝がられています。
