犬を選んではいけない | フィリオとショコラのちいさなおうち

犬を選んではいけない

 

珍しく、フィリオがカウチで眠っています。

良かったね、やっと君の番だ。

出遅れたショコラは、未練がましく周りをウロウロした挙句、

前に座り込んでカウチがあくのを待っています。

どちらも争いは好みませんので、取り合いに発展することはありませんが、

この無言の圧力を薄眼を開けて感じて、フィリオはスーッと立っていきます。

ごくさりげなく・・・

あーぁ、かあさんはため息をつきます。

やっぱりねえ。

 

このあと間髪を入れず、ちゃっかりショコラが座りました。

 

 

 

 

 

画像は

Westies United - Murphy and Dakota's Page

さんよりお借りしました。

 

 

 

 

 

 
 
 こころエリートくらぶハウス  さんの投稿記事をご紹介します。
かあさんはここまでの覚悟がないものですから、自戒をこめて。
もう数回目の転載になりますから、又かと思われた方はごめんなさい。

青字は転載です。

 

●犬を選んではいけない●
われわれ人間もそうであるように 動物たちも何ひとつまごうことなく同じでしょう。
長寿以前に 愛に満たされた不安の少ない生涯であることが望ましい。
増してや 動物たちはそれだけしか望んでいない。
特に 野生から遥か遠いヒト社会へとそのDNAを置いてしまった犬たち。
彼らの僅かな望みを叶えることができるか否かかは すべてヒトの手によって操られます。
心身の健やかさ、あるいはその荒み、
知性感情の豊かな発露、あるいはその貧しさ
終焉の安らかさ、あるいはその残虐さ。
これらはすべて飼い主というヒトの 「愛情の具体性」に支配されています。

 

手作り食を褒め讃えるのではありません。
が、そこに至る想いに 具体的愛情を私は見ます。
延々2時間の散歩を褒め称えるものでもありません。
が、そこには排泄を済ませるための散歩にはない  具体的愛情を私は見ます。
あるいは終焉の訪れをいやというほど実感しながらも
幾つもの病院を渡り歩き延命を拝む姿に、そこに至る愛の時間を私は見ます。

 

「犬を飼う」ということは簡単です。
「買う」となればなおさら尚更簡単でしょう。
ですが、知性感情豊かな彼らの生涯を 愛に満たして不安なく
彼らの能力に見合うレベルで全うさせられるかというと

それはまごうことなく非常にきつい仕事です。

 

どうぞ伝えて下さい。
愛が感情で終わるなら 「あなたは犬を選んでいけない」。
どうぞ伝えて下さい。
彼らから発せられる毎日24時間絶え間ない愛に対し 「ながら」で応えられると勘違いしているなら

「あなたは犬を選んではいけない」。
どうぞ伝えて下さい。
あなたの半月の食事がひどく貧しいものになっても
彼らにいつもの元気がないと察した時、すぐに獣医師のもとに駆けつけられないのなら
「あなたは犬を選んではいけない」。
そして、どうかどうか伝えて下さい。
あなたの生涯がどれほど身体的に不健康だとしても 

彼らを送るまでは覚悟して生き抜く、笑顔で生き抜く。
それができないのなら 

「あなたは犬を選んではいけない」。

 

殺処分0の前に 伝えて下さい、問うて下さい。
これから犬を選ぼうとしているすべての人々に。

 

お願い申し上げます。
平成27年1月15日(木)
豊かな終生飼育100%と脱原発を祈って。
こころエリートくらぶハウス
飯田有貴

 

 

 

今日もお出で下さいましてありがとうございました。